2016年7月アーカイブ

ひと昔前の気持ち悪い「絆・節電ブーム」のときに「エアコンをつけない私はエコ」という脳味噌御花畑馬鹿野郎が巷に跋扈したことがあった。その余韻のせいでなぜか「エアコンは消すか28度設定にしなければならない症候群」が日本中のいたるところに発生し、かたや酷暑下の屋内熱中症が流行し、かたやマンションのベランダから侵入するコソ泥が激増する(窓を開けっぱなしにするからである)という、それはそれは社会的不経済が大量に発生したことは記憶に新しい。その余韻は今も続いている。

「室温を28度にしましょう」ならまだ分かるが、「エアコンの設定温度を絶対に28度にしましょう。それ以下にしたら極悪人ですよ」と勘違いしたのはどこのどいつだ。そして、いくら室温が28度だからと言って、湿度が80%あったらどうなのか。これ、普通に熱中症になる温度じゃないのか。

ちなみに以下の表を参照いただくと、28度で湿度が60%の空間にいると、すでに「警戒」の領域に達するのである。「エアコン28度教」の信者は2万回くらい括目されたい。

何度も言う。「設定温度」だけでなく「湿度」も見よ。「温度だけ」にこだわるな。「湿度」も見るのだ。ましてや暑いのにエアコン切って(あるいは冷えもしない設定温度で)汗を流しながら仕事をするなんて、ただのバカである。これで倒れて病院に行ったらそれこそ余計にエネルギーを使うし、何より「医療費」の無駄遣いではないか。

自らの身を切り刻んでまでして、また国家財政を枯渇させてまでして、何がエコだ。エコという名のエゴ、でしかない。何の根拠もなしに「エアコン28度設定」だけを一人歩きさせたのは、誰なのだ。

<無知の善意>ほど害悪なものはない、という好例である。


(出典:厚生労働省のパンフレット「熱中症を防ごう!」)


公開:2016年7月16日(同年7月23日一部表記/表現修正、追記)。

■標語:「あなた1人の駆け込みで、3000人が遅刻する」

朝の中央線は2分間隔で電車がくる。でも朝の2分のロスは(そのあとの乗り換えを考えると)でかいので、1本でも早い電車に乗りたくなるのは人の性。で、無理やり電車に乗ろうとするからどんどん遅延が発生。「お客様混雑による遅延」は日常茶飯事ということになる。

そしてこの「たかが2分、されど2分」が大都市東京においてどれくらいのボリュームなのか、を冒頭の標語にしてみた。「駆け込み乗車防止」のキャッチコピーとしてはなかなかインパクトがあるような気がする。

ここではフェルミ推定の考え方を使ってみよう。
すなわち、中央線は10両編成。1両の定員がざっと150名くらいとすると、1編成あたり1500名が乗っていることになる。乗車率が180%とすると1620名くらいの人数が、ラッシュ時には1本あたりの車両に乗っていることになる(1時間にその30本分で実に4万8600人というボリュームである。ものすごい大量輸送機関なのだ、鉄道というのは)。

さて、その中央線。1本の電車が1人の駆け込みのせいで1分遅延したとすると、列車に乗っている1600人が1分だけ等しく遅刻することになる。すなわち、単純に言って1600分ぶんの社会的損失が生じることとなるわけだ。

さらにこれが2分遅れたとなると、中央線は2分間隔なので、実は「1列車分の(時間単位当たりの)輸送力が損なわれる」ことと同義になる。つまり、1600人×2(遅れた1列車分と喪失した1列車分)=3200人に影響が生じる。時間にすると、1600人×2分×2列車分で、実に6400分ぶんの社会的損失となる。

これを時給に換算してみよう。東京都の最低時給(書いている時点で907円)×106.6時間(6400分)=9万6686円。「たかが2分の遅れ」で約10万円もの損失が生じていることになる。考えようによっては、こんな理屈が成り立つのである。

さらに議論を続けよう。
2分の遅れが毎日(平日20日の8割=16日分)あるとすると、月に154万6976円となる。年にすると実に1856万3712円。「2分の遅れ」の累積が、1年間で2000万。10年で2億。かかる莫大な損失になっていることが分かる。

しかもここまでの話は、あくまで列車2本に限ったもの。ふつうは後続の列車にも遅れは波及するので(ホームには前の列車に乗るはずだった乗客が滞留するため)、もう少し話を拡大してもよさそうである。

例えば1時間にわたって「2分遅れ」が続けば、(列車は2分間隔なので1時間に30本だから、2本分の15倍で)わずか1日で約145万、月に約2300万、年ではなんと約2億7800万もの社会的損失になる・・・ということだ。実際は「2分遅れ」など生易しいもので、5分、10分は平気で遅れるのだから、その影響たるや考えるだけ恐ろしい。

ということで、最後に「あなた1人の駆け込みで、なくしたお金は2000万!?」というキャッチコピーを提唱したい。

問題は「この理屈が分かったところで、駆け込み乗車はなくならない」ということなのだが・・・


公開:2016年7月16日

■公約で「自分の給料を減らす」という無責任野郎
色々と選挙があって、候補者の公約を読むと「自分の給料を減らします」という人間の多いこと多いこと。「給与返上ブーム」でも起きているのか。

私は、自分の給料を減らすなどという人間は絶対に信用しない。むしろ、「私は○○円の給料をもらうので、それに見合うだけの働きをします」という候補者を信用する。

お金をもらうからこそ責任が発生するのであって、今より給与を半額にするなんて言う野郎は、結局は「求められている職責の半分しか全うしません」といっているのと同じだからだ。ましてや全額返上するとかトチ狂ったことを言う輩は、「じゃあ貴様は仕事をしないってことだね」と言い返してやりたくなる。

基本的に「給与がなくていい」なんていうのは、それ以外の資金源があるからだと疑わなくてはいけない。「お金はもらいません」というのは、クリーンなようでいて、実は一番ダーティーなのである。

繰り返す。公からお金が出る(選挙された人の給与)=記録が残る(手続きを踏んだお金)ということ。これを減らしても平気ということは、「私は公人ですが記録外のお金で生活しています」、と言っているようなものなのだ。出どころ不明なものほど、公益を害するものもない。

これも<無知の善意>ほど害悪なものはない、という好例である。

■行政の長が行政府内の不祥事を市民と一緒に批判する謎
人気のある市長やら大臣やらが、自分の組織の不祥事があったときに、なぜか「国民目線で」「組織を」批判する、という謎の光景をたまに目にする。

いつも思うのだが、「あんたがその組織の長だろう」と言いたくなる。責任者はあなたなのだから、批判する前に「部下のやったことはすべて私の責任」としてまず奉仕者たる国民に謝るなり、何らかの責任をとるのが筋だろうと思うのだが。

就任早々、組織の批判をする長も過去、後を絶たない。いつもうんざりする。組織の長に「自分の組織は腐っている」などと言われて、やる気の出る組織人はいるのだろうか。あなたがその腐った組織の長なんですけど、そのトップたるあなたが一番腐っているということ?と見ていていつも思ってしまう。これは想像力の問題。

長は組織を外の攻撃から守るべきだし、内なる改革はその理念を内から浸透させていくべきだし、その結果は手続きを踏んで、正当な手続きに依る審判(直接選挙や議会との対峙)にさらされるべきなのだ。


公開:2016年7月16日

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