ホーム » 健康 » 「必要」と自分認定しないことで心が軽くなる話、の巻

「必要」と自分認定しないことで心が軽くなる話、の巻

組織には「必要」「いてもいい」「いなくてもいい」「いなくていい」という評価分類が厳然とあって、「いてもいい」なのに「必要」と錯覚すると過労が生まれ、「いなくてもいい」なのに「必要」と錯覚すると軋轢が生まれ、「いなくていい」なのに「必要」と錯覚すると無駄が生まれるわけです。これはお互いにとって不幸なことのわけですが、表立っては「あなたは必要」としか誰も言ってくれないので、結局は自分が「いてもいい」「いなくてもいい」「いなくていい」のどれなのかは判断しないといけないのですね。ちなみに間違っても「必要」と自分認定してはなりません。普通はどんなに上位の評価でも「いてもいい」が最高ランクでしょう。

「いてもいい」の人は、もっと自分の心と体を守ることを考えましょう。「いてもいい」は容易に「いなくてもいい」に転化します。どれだけ尽くしたところで、いずれもっと若くて勢いのある人に乗っ取られますから。

「いなくてもいい」の人は、もっと面従腹背の精神を鍛えましょう。「使えそうだから置いとくだけ」から脱却するには、プラスアルファ、「組織に従う」精神が必要だからです。動機はどうあれ、結果的に「白といえば黒も白」にできるかどうかが「いてもいい」と判定されるか否かの分岐点になりましょう。

「いなくていい人」は、おとなしくしているのが得策です。おとなしくしてさえいれば、容易に「いなくてもいい」判定を受けることができるでしょう。「いなくて」と「いなくても」の境目は、要は「空気を読んでいられるか」ということの違いになります。

まかり間違っても自分がある組織にとって「必要」と自分認定しないこと(評価は常に他者が下します)が秘訣です。むしろ常に「いてもいい」「いなくてもいい」「いなくていい」のどこに自分がカテゴライズされていくかを察知しておくことを重視しましょう。これが結局は幸せに生きていくための道標となるように思います。

自分が別に「必要」じゃないと思えれば、風呂敷残業、休日の電話対応、有給の日の仕事、その他あらゆる「無賃仕事」に精魂を込めることがどれだけ人生を切り売りすることかが見えてきます。

そう考えると、少し心が軽くなってきませんか?

ではまた。