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100年の積層の巻

「写真が語る千葉市の100年」を眺める。前作「千葉市の昭和」の続編的存在なのだが、街の移り変わりというのは見ていて本当に面白い。

街は歴史のレイヤーがいくつも重なって形成されている。「地層」というくらいだから、土地そのものが層をなして地球規模で歴史を記憶しているわけだけれども、そこに立脚する建物や構造物、文化、思い出、風習、そういったものも、街は層となって「記憶」するのである。写真はその記憶を明確に掘り起こしてくれるのだ。

明治以降、近代日本の「街」レイヤーは大きく分けて8つあると思う。

1つが、明治層。「地方分権型武家社会から中央集権型国民国家」になっていく上で形成された「近代」を象徴するレイヤーだ。初期の官庁や学校、駅などがこれに当たるだろう。木更津県と印旛県が合併して「千葉県」ができたときに中間の「千葉町」が県庁所在地として選ばれたのが千葉市誕生のきっかけであるから、このレイヤーは今の千葉市の基本骨格であると言っても過言ではない。

2つめが、大正・昭和元禄層。関東大震災を経ての、「鉄筋コンクリート」とか「民間のデパート」などモダンな建築物がこれに当てはまる。中産階級層の勃興ともリンクする。千葉で言うと、千葉市美術館のもともとの建物である旧川崎銀行などがまさにこれである。

3つめが、戦時体制層。15年戦争にすべての資力が投入されていったときの建物群である。特に千葉市は「軍都」であったから、当時のレイヤーは思わぬところで現代でも顔を出す(軍用気球の倉庫がつい最近まで民間の倉庫になっていたり、軍用鉄道の跡地が千葉公園付近では現役の道路として活用されていたり)。

4つめが、終戦直後層。混沌の中で生まれた「生活復興のための街」である。無論、今でこそ希薄になったレイヤーだが、有名な新宿の思い出横丁を例に出すまでもなく、千葉にだって、あちこちにその爪痕は残っているのである。

5つめが、高度経済成長層。重厚長大。千葉市の場合は川鉄と東電発電所がその象徴的存在であると言える。あとは林立する大規模団地群なんかもそうですよね。

6つめが、安定成長・バブル層。「省エネ」「ソフト化」に象徴される「軽小短薄」な「イメージ」が、その機能よりも先行して想起される建造物群が目立ってくる。でも、そのイメージとは裏腹に、その実は「豪華絢爛」である。千葉で言うとモノレール、幕張新都心のあたりだ。津田沼から千葉間の「総武線の複々線」などもこの時代の産物である。この時代に移転オープンした「千葉そごう」が、このレイヤーの千葉市における集大成であった。

7つめが、停滞層。バブル期のような華やかさはなく、「実質的」な建造物が中心となってくる。この頃から郊外に展開し出したショッピングモールなど、その典型である。

8つめが、ニューエコノミー層。「カネはあるところにはある」ということで、「持てる者」を表象する建造物群が目立ってきた。象徴的なのはタワーマンションや、従来の団地とは意味合いの違う大規模マンションの展開だろう。SCも、イオンモールとか、千葉駅ビル再開発とか、「巨大資本の存在」を意識させられるようなガリバー化が進行中である。千葉駅前のビックカメラが入る予定のビル(建築中)もその1つと言えよう、

以上「100年」でざっと8つのレイヤーが顔を出している。ざっくりと12年ちょっとで街の「層」は変わっていくのである。「10年ひと昔」とはよく言ったもので、本当に10年で街は変貌していくのである。

もしかすると、今は「ICT/ウィズコロナ層」に転換していく渦中かもしれぬ。テレワーク普及によるオフィスの減床、飲食店需要の激変、公共交通機関の利用形態の変化など、「街の姿」を変えるには十分な条件が整いつつある。

変化は、基本的には止められるものではない。問題はその変化をどう受け止め、受容し、活かして、生きていくかだ。

そんなことを、「千葉市の100年」は教えてくれるのである。

ではまた。

最近読んだ本の巻

『詐欺とペテンの大百科』というのを読んでいる。全部で570ページ、しかも2段組という大著だ。人間の奥深さが知れて面白い。

野心・優越感・偏見・利益の欲求があれば「誰でも」騙され得るというのがこの本の訴えだ。

要するに、「誰でも」騙され得るということだ。

斬新なように見えても、大体は過去の事例の「亜流」だったりする。でも、目が曇ると古今東西、「これしかない」「この人しかいない」となるのがとても不思議だ。

たいていは、信じている人から「自分は正しい」と繰り返しトリッキーに示されるわけだから、抜け出すのも難しくなるわけだ。

どこかで「もしかして自分、騙されてる?」という振り返りは常に必要だろう。

で、ほら、最近の例で言うと(以下自粛)

ではまた。