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テレビのこれから、の巻

少し前に、NHK放送文化研究所の「国民生活時間調査」による調査で「深刻なテレビ離れ」(特に30代以下の若者)が起こっていることが裏付けられた、というニュースが話題になった。このページでも記事にしている(5/20の記事5/21の記事)。

そういえば自分(若者ではない)はどうだろうかと問うてみる。
振り返ってみると、少なくとも今月は、1度もリアルタイムでテレビの放送を見ていないことに気づいた。うーん・・もしかすると「今年」に置き換えても数回あるかないかなのではないか。
記憶にある限り、テレビの前で待機していたのは、ドリフの特番だけだったはずだ。

録画する番組も決まっていて、定期録画は子どもとみる『ドラえもん』および『プリキュア』、そして『ブラタモリ』『ソーイング・ビー』のみである。前者はCMを飛ばすし、後者の2つはNHKなので、タイムシフトで視聴したとて私なぞ「カネ」にはまったくならない視聴者である。

今やテレビの画面を見るのは、録画していた番組を見るか、Amazon PrimeビデオやdTVの映像を見るか、である。ほかに見るべき画面はPC、スマホ、タブレット、携帯ゲーム機とごまんとある。リビングの主役、ではもはやない。

幼少期をテレビ漬けで過ごしている(それこそ絶頂期のフジテレビの空気を浴びている)はずのアラフォー世代ですらこんな状況なのだ。況やもっと若者においてをや、である。

そもそもリビングに置いてあって、ボタンを押すだけですぐにつくテレビはきわめて手軽なメディアだ。とりあえずテレビ、の「とりあえず」の累積が視聴率であり、その視聴率が担保されていることでこれまで隆盛を極めてきたわけだ。ただ、その「とりあえずボタンを押す」という行為はある種の習慣であり、テレビとともに育ってきた60代・70代は習い性となって何のためらいもなくテレビを毎日つける(意識せずに)ことができるだろうが、おそらくその呪縛が解けた40代以下は「ボタンを押す」習慣がとっくの昔に消え去っている。すると、もはや若者にとっては「テレビを見る」ということすら意識下にない可能性まである。

よく「好き嫌い」より怖いのは「無関心」というが、そのフェーズに入っているのだ。そもそも「テレビ」が意識にない。だから悪感情もなく、単純に「見ない」のである。今の若者より少し上の世代だと「テレビを見ない」というある種のファッションというか、自己アピールというか、要は「意識高い系」で「意識してテレビを見ない」という風情が見え隠れしていたが、今の若者はそうではなくて、「意識そのものがなく、本当に見(るつもりが)ない」のである。そこには何の意図も虚飾もない。「え?見ませんけど何か?」という「空(くう)」だけがそこにある。

私自身、テレビを「つける」という行為は、「意識して」やらないといけない行為にハードルが上がってしまっているのを感じる。スマホやタブレットは躊躇なくホームボタンを押せるのに、テレビのリモコンはボタンを押すのがしんどいのだ。そこに「意識」があるから。スマホは「さあ、スマホを見るぞ」という「構え」はいらない。自然体でそのものである。しかしテレビには「構え」が必要だ。ただただ、「不自然」なのである。

そういえば我が家では新聞を取っているのに、テレビ番組表を見ることもなくなった・・と書いていて気づいた。それくらい、意識から外れてきているのだ。

ここまでくると、旧来の「コンテンツとコンテンツの合間にCM」というのはどんどん、少なくとも若者、これからの世代に対しては効果がなくなってくるはずだ。そんなこと、私が言わなくても自明のことだ。

そうなると、もしかすると「コンテンツの下部にずっとCMを表示する」とか、「番組のオチをWeb化して、そこに誘導する」とか、いやでも「目に入ってしまう」状況をつくるようにしないと「無料放送・広告収入モデル」が持たない段階がいずれ来るのもしれない、とさえ思う。

ただそうなると、おそらく今のメイン視聴者である高齢者からクレームが殺到して、全世代が「無料のテレビ」から離れることになる。だからできない。

ということで結局、これまで通り「番組の合間にCM」という旧態依然とした放映形態が続く。しかし、タイムシフト視聴に慣れ、興味のない部分は飛ばすことに慣れた若者は、「強制的に見せられる長いもの」は見ない。自分でコントロールできないことは、嫌いなのだ。だからますます、離れていく。

すごいジレンマである。
しかし以前書いたように、このジレンマをどう乗り越えるのか、という課題は人口が激減する我が国において、あらゆる業種が「学ぶべき事例」にほかならない。

人口拡大時代の成功体験を捨てきれないことが「失われた30年」の根本要因だ。今は高齢者に実数ベースでボリュームがあるからまだ何とか体裁を保っているが、この層がいつまでも主たる社会の「金主」足り得ないのだ。

「昭和の代表」であり、もはや「レガシー」の1つである「テレビ」がこのピンチをどう乗り越えるのか。これは非常に興味深いテーマだ。今後も注意深く動向を見ていきたい。

ではまた。

「テレビ離れ」の分析の巻

NHK放送文化研究所「国民生活時間調査」の2020年版がまとまった。前々回の記事でも書いたとおり、「10代は約半数がテレビを見ていない」という衝撃的な結果で、「若者の」テレビ離れは確実に進んでいることが話題となった(一方で、高齢者はまったくテレビ離れを起こしていない)。

国民生活時間調査のサイトで詳しい数字が公開されていたので、さっそくその中から顕著な例を取り上げて紹介したいと思う。今回取り上げるのは、10代女性・20代女性の動向である。

20代女性というのは、もとより「F1層」と言われるマーケティング上の宝の山であるし、それに接続する10代女性も将来の貴重なお客様だ。彼女らの動向は、そこに紐づいてくる「まだ比較的若い両親」「彼氏」「旦那」あるいは「子ども」関連の消費にも直結するので、相当重要であることは論を俟たない。

NHK放送文化研究所「国民生活時間調査」(2021)に基づき筆者作成

この図は、「平日」の「21時から21時15分」までの間に、テレビを視聴している「10代女性」と「20代女性」の経年の割合を示した図である。

見て分かる通り、25年間で視聴割合が激減しているのが分かる。20代女性は、42.7%から19.3%へ45%減、10代女性は、減少幅こそ40%減(それでも大きいが)だが、割合そのものは30.4%から「12.2%」にまで落ち込んでしまっている。

若年人口はどんどん減っているので、これを「実数」にすると、深刻さがよりリアルに見えてくる(数字は総務省統計局の2020年10月度の人口推計による)。
2020年10月の人口でみると、
10代女性の平日9時からの15分のテレビ視聴人口は、65万人/536万人(1.2億人の0.54%)
20代女性の平日9時からの15分のテレビ視聴人口は、118万人/612万人(1.2億人の0.98%)
1995年ではこれが、
10代女性で238万人/782万人(1.2億人の1.98%)
20代女性で392万人/918万人(1.2億人の3.26%)
であった。桁が違うでしょう?

すなわち、25年で10代女性の「平日9時からの15分のテレビ視聴人口」が173万人、20代女性が274万人、「蒸発」したということになる。

さらにこの減少ぶりを視覚的に認識するには、視聴「していない」割合をグラフ化してみよう。

NHK放送文化研究所「国民生活時間調査」(2021)に基づき筆者作成

平日の夜9時。今の10代女子は87.8%が、20代女性は80.7%がテレビを見ていないのだ。

この調査のテレビには、地上波だけでなく、BSやCS、CATV、ワンセグも「含む」数字である。今の「若い女性」は、平日の夜9時から9時15分の間、複数のチャンネルが束になっても、もはやYouTubeの人気チャンネルの再生数にすら届かない人数しか「見ていない」ということになる(10代と20代を足しても183万人にしかならないのだ)。

見ないから余計にその層へ向けた番組はつくられなくなる。だから余計にこの層が見なくなる・・という悪循環。

ただ、
*「新しい層(この場合は若い人)」が入ってこなくなるとその世界は廃れる
*長くいる層ばかりになると、どんどん内容が無難になって、革新的なもの(イノベーティブなもの)が生まれなくなり、ますます新しい人を獲得できる機運を失う
というのが世の常だ。完全に「じり貧状態」であるといえる。

今は人口ボリュームゾーンの視聴者(コア層)がいるからよいが、やがて今の「見もしない」人たちが社会の主流になったときに、果たしてどうなるのか。今のままでは、凋落が火を見るよりも明らかである。

敢えて、イノベーティブなことをやって「再興」を狙って突き進むか
今のフィールドを捨てて若者の主戦場(YouTubeなど)で戦う戦略にシフトするか

実際は様々な戦略のミックスなのだろうが、テレビの「若手取り込みの戦略」の成否というのは、大変興味深い。

テレビ局の直面する「いかに新規顧客を獲得するか(あるいは捨てるか)」という取り組みは、人口激減という環境の変化において、「人口拡大」時代の成功体験をどこかで捨てきれないあらゆる業種にとって(今は高齢者に実数のボリュームがあるから何とか保っているのであって、この層がいよいよ入れ替わったら、本格的にヤバいことになるわけだから)、生き延びていくための1つの試金石になり得る。

ではまた。

本当にテレビ離れしていた話、の巻

衝撃的なニュースである。「10代の過半数がテレビを15分以上見ていない」というニュースだ。
10~20代の約半数、ほぼテレビ見ず「衝撃的データ」/朝日新聞デジタル)

「テレビを見ていない」なんて言って、本当は見ているんじゃないの?」と思ったら、本当に10代の半数はテレビをほとんど見ていない。しかも、5年で20%も減っているというかなり驚くべき状況であった。

出典はNHK放送文化研究所の「国民生活時間調査」で、ソースはしっかりしている。21日にも詳細がアップロードされるというから、これは要チェックだ( https://www.nhk.or.jp/bunken/)。

記事をもとに、さっそくグラフを作ってみた。いかに若者がテレビを見なくなったか。たった5年で劇的な変化がみられる。

出典:NHK放送文化研究所「国民生活時間調査」(2021年)

50代以降は「見るのがデフォルト」なのに対し、20代以下は「見ないのが普通」になってきているとすらいえる。
もう少しわかりやすくしてみよう。

出典:NHK放送文化研究所「国民生活時間調査」(2021年)

こちらのほうが分かりやすいかもしれない。上記のグラフを逆転させて、「見ない」割合にしてみた。テレビはもはや、オールド層のもの。急激に若者が見なくなっているのが分かる。

この図を見ると、「お年寄りと若者」の分岐点は「40代」であることもわかる。

そういえばここ数年、気になっていたのだ。「テレビで取り上げられた」とか「CMが云々」と話題にするのは、お年寄りばかりだなぁということに。

ということは、スポンサーの選択肢は2つに1つ。徹底的に主要視聴層である年寄り向けの広告で攻めていくか、あるいは若い人に見てもらえる番組をつくるか。

イージーな選択肢は前者、「年寄り向けの広告で攻めていく」ということなのだろうが、今はボリューム層であっても、やがてじり貧になる。30代以下の減り方を見ていると、とても彼ら・彼女らが60代になったとき、同じ割合でテレビを視聴するわけがないからだ(そもそも絶対数が違う)。

とすると、本来の選択肢は後者、「若い人に見てもらえる番組をつくる」というのが「急がば回れ」の道になるのだろう(マクドナルドの「ハッピーセット」戦略である)。しかし、ここまで視聴習慣が崩れてしまうと、なかなか厳しい。

実際、もはやテレビそのものを家に持っていない若者は普通になってきた(会社をみてすらそうだ)。「なくてもYouTubeもネットフリックスもあるし」「あったらあったでNHKが来るし。だったらないほうが安いし」というのがもはや普通の感覚である。若人はもはや「テレビの話題」をしていない。

好き嫌いよりももっと怖いのが「無関心」。一度無関心になると情報は途端に入ってこなくなる。そういう層をどう振り向かせるか。

ボリュームの大きい層に気を取られているうちに、「子どもが楽しめる番組」を隅に追いやった結果である。これはすごく大事なことだ。

単体でみると「半沢直樹」とか「ソーイング・ビー」とか、面白い番組はこの5年間でもしっかり供給されているのだ。作り手や流し手の能力低下では決してない。あくまで、ターゲット設定や志向性の歪みである・・・と信じたい。

ではまた。

電話談義の巻

部屋を整理していたら、電話帳が出てきた。

2017年から2019年にかけて、たった2年で半分くらいの薄さになっているのが分かる。

千葉市は人口98万人、事業所数28000か所(千葉市統計書令和元年度版参照)の政令市である。それでこの薄さ。時代ではあるが、固定電話離れはここまで来ているのかと実感させられる。

昔は電話帳といえば「ぶ厚いもの」の代名詞であった。日常的には重しに活用されていたし、確かプロレスラーが力自慢のために真っ二つに破くみたいなパフォーマンスにも使われていた記憶もある。時代の変化だ。

固定電話界隈では、時代の変化を伝えるニュースが相次いでいる。一番は、「個人宅の電話番号が載っている」という「ハローページ」の廃止(NTT東日本ニュースリリース)だ。一応、今年の10月発行分を持って最終号とのことらしいが、これなど携帯電話の普及のみならず、個人情報の観点からも完全に役目を終えたといえるだろう。お疲れさまでしたというほかない。

そのほかに、新幹線の公衆電話も今年の6月末でサービスを終了するという(Impress Watch)。正直、「まだあったの!?」と驚いたが、これもまた時代だろう。

あとは、ややマニアックな話になるが、交換機の仕組みによる電話網の維持が限界を迎えていることから、2024年1月以降、電話網がIP化する(日経)という報道も記憶に新しい。IP化に併せて全国一律3分8.5円という距離制ではない新料金体系になることも発表されている。今までの「市外や県外の電話は高い」という常識は雲散霧消する。携帯では「市内・市外」はもはや関係ないし「かけ放題」も当たり前なのでもはや「全国一律料金になる」ことに驚かない人も多いと思うが、これは固定電話の世界における大革命(しかも固定電話網の完全IP化というのは世界でも初の事例とも)なのだ。

固定電話の契約者そのものがピーク時の6322万件(1997年)から1834万件(2018年)と約20年で71%の激減をしている現状では、(一方で携帯電話・PHSの契約数は同3825万件から1億8561万件となんと4.9倍も伸びている)あまりピンとくる人が多くないのも無理はない。(上記データは上述の日経記事及び、総務省情報通信白書令和元年度版総務省情報通信統計データベースを参考とした)。

今日日、固定電話は企業であれば信用のため、個人であっても「今までおいていたから何となく」というケースが大半だろう。特に個人にはセールスか怪しい勧誘しかかかってこないから普段は取らないなんて話もよく聞く。

まさに黄昏の固定電話。だが、電話といえばやはり「固定電話」なのだ。以前も書いたが、スマホの電話のマークは、固定電話のマークなのである。レガシーというやつだ。固定電話は今も生きている

ではまた。

綺麗事。英語では”fine-sounding”(周りには立派に聞こえる)の巻

よく選挙で「市民の皆さんとともに」とかいうじゃないですか。代表様に庶民と同じ目線でいられちゃ困るんだよね。頼むから大所高所で判断してくれよといつも思う。

大企業の社長が「社員とともに」っつって、社員のオフィスで席を並べて「おお、2in1でコピーしてるな。感心、感心」とか言われても困るでしょう。上の人はわざわざ降りてこなくていいんです。


よく選挙で「自分の給与を◯割カット」とかいうじゃないですか。責任も◯割カットされちゃたまったもんじゃないんだよね。頼むから既定の給与分の責任を負ってくれよといつも思う。

自分の給料がいきなり半分になったら、責任感やモチベーションも相応に下がるでしょう。自分がされて困ることは人にも求めちゃいかんのです。

だいたい、「給与カット」とか「交付金もらわない」なんてのは、「他から金が出てる」「他の資金源の出処を探って欲しくない」ということでしょう。

綺麗事抜かすやつなんて絶対信じちゃいけないのだ。裏で何やってるかわからない。

ではまた。