2019年12月アーカイブ

■「ノー残業 職場の外では 仕事増え」     

仕事量を変えずに残業時間だけ規制しようとすると、持ち帰り残業が増えるだけだ。もっと構造的に「仕事のプロセス」を改善していかないと、真の働き方改革にはならない。

仕事には、「やらなければならないこと」と「やったほうがいいこと」「やらなくてもよいこと」が混在している。大抵は「やらなくてもよいこと」に時間がとられ、「やらなければならないこと」までしか手につかず、「やったほうがいいこと」(これは、一言でいうと将来の自己成長や組織成長への投資である)にリソースが割かれることはほぼない。

これを逆転させて、「やらなければならないこと」に特化し、「やらなくてもよいこと」には手を掛けず、「やったほうがいいこと」の時間を捻出する。ここまでやっての「働き方改革」であることをもう一度考え直したい。

国会でも取り上げられた有名な話で、「レジ打ちの速度が2倍になったところで生産性は変わるのか」という命題がある。企業サイド(ミクロの観点)からすると、レジ打ちが2倍速になればそれだけレジの稼働台数を減らせる(単純計算で1/2にできる)わけだから、確かに「生産性」は高まるのである。ただ、マクロのの観点でみると、レジ打ちが2倍速になったところで客が2倍に増えるわけでもないし、売り上げが2倍になるわけでもないから、「それだけ」では付加価値を創出したわけではない、ともいえるのである。

要はスキルアップによって時間が単純に2倍速くなったレジ打ちの店員が、その時間を使って何を捻出できるか、まで設計することが必要だということだ。

時間労働者の作業力がスピードアップすると、結局その労働者の取り分が減る(作業時間が減るから)とか、そもそもレジの総稼働数が減って総人件費が抑制できるとか、そういう「人件費圧縮」目的だけで働き方改革を進めていくと、前述のとおり経済全体として「付加価値を創出」したことにはならないので、利益は上がっても、いつまでたっても社会全体としての「生産性」は上がらない、ということになりかねない。

働き方改革とは何のためにあるのか。それは、人口が激減し、社会がシュリンクする中であっても、今の経済を何とか維持していくためのアウトプット改革である。これは換言すると「労働者1人当たりの生産性を高める」ことに他ならないことをここで確認しておく。

繰り返しになるが、「スキルアップの結果として捻出された資力を何に活かすか」という観点と、そもそも、前提となる「スキルアップやアウトプットをどうやって創出するか」という観点が、働き方改革には欠かせない要素ということになる。

■では、何から着手するか 

「やらなくてもよいこと」を今すぐやめることである。今すぐにだ。

*確認事項だけの「念のため会議」
メールを読めば済むこと、各自で確認すればよいことはいちいち集まって行わない。「会議の時間が60分設定だから、そこに合わせてコンテンツを組む」など愚の骨頂だ。

*出社しての「書類作成」
わざわざ1時間かけて書類作成のためだけに出社するのはもはやナンセンスだ。「人と顔を合わせる必要がある」仕事のためにだけ、オフィスはあればよい。いや、もはや「人と顔を合わせる」ことすら、SkypeやTeamsなどの情報共有ツールで事足りる。そもそもオフィスって何のために存在するのだろうか(たぶん、突き詰めると社員と社員の知的な刺激と化学反応・・学びあいのため「だけ」にあるのかもしれない。オフィスは事務作業をする場所ではなくて、学ぶための場所・・・となると、今までのような機能はオフィスにはいらなくなる???)

オフィスと社員はもう要らない!?(日経ビジネス)

*同じ時間に通勤すること
上述のとおり、オフィスに出勤することそのものは「仕事」でもなんでもない。携帯さえあれば顧客に直接電話だってできるから、デスクについている必要すらない。とすると、わざわざ「同じ時間に通勤すること」すら異常にナンセンスなことだとわかる。すし詰めの満員電車に全員で乗り続けることは、体力的にも精神的にも、社会の大きな損失でしかない。

*社内の視察と接待
一定規模の企業であれば、「偉い人」が現場訪問(視察)をすると大騒ぎで社内接待がはじまる。やれ、どんな職場の状態を見せる、どのお店で歓迎会を開く・・・「現場の声を聴く」つもりが、「忖度といい顔で塗り固められた張りぼて」だけが一夜城のごとく構築されるのである。企業のアウトプットにはまったくかかわらないことだ。

現場の本当の空気を知るには、偉い人がフラットにやってきて、フラットにランチでも一緒に食べて帰る・・・くらいの状態が常態化する以外にないのであって(そして組織のレポートラインを考慮すると、直属の上司を飛び越えてその状態を実現する組織的合理性は不明であるし、仮にその状態が必要なのであれば、そもそも組織の改編こそ求められるともいえる)、旧態依然とした「視察部隊」をやっている限りは、現場で「顔を見せる」ための残業が今日もどこかで行われることになるのである。

*社内でのプレゼンや勉強会でやたらとPPTを使うこと
PPTは、「装飾」もあれば「ノート」もあって、「作業」の集合体だ。社外向けのプレゼンであれば効果的な視覚効果を狙ってどんどん使えばよいと思うが、社内向けではどうだろうか。実はワードファイル(PDFでもいいが)に文章と図を載せておくだけで充分・・ということはないだろうか(むしろそのファイルを読めば大要が理解できるのであれば、「プレゼン」という行為すら不要なのではないか)。

ワードファイルなら、「大量のPPTをカラー印刷する」みたいな時代に逆行した行為もなくなり、大幅な印刷費縮減にもつながる。

*虚礼
すぐに顔を突き合わすメンバーに対する年賀状を筆頭に、古い職場だといまだに「バレンタインデー」や「ホワイトデー」の義理チョコの交換などを行っているところもあるかもしれない。これも「やらなくてもよいこと」の代表のようなものだ。

*社内行事
歓送迎会はともかくとして、忘年会や納会を代表とする強制的な飲み会、社内BBQや旅行などの強制的な親睦会。すべて「やらなくてもよいこと」だ。やるのであれば、自発的に「飲みに行く?」→「行こうか」とならないもの以外は、すべて「業務」として対応すべき案件だ。これに「賃金を出せない」のであれば、それは企業にとって不要なのである(働く場所で、働くこと以外をしたらおかしいでしょう?)

*定時
同じ組織でも、それぞれが違う仕事をしている。「定時」で区切って、同じ時間で全員仕事をさせようとするから、無駄な残業が起こるともいえる。仕事時間はそもそも、「フレックス」であるべきなのかもしれない。

*「とりあえずCC」
「CCは禁止」にすると、1日のメールはどれだけ減るだろうか。

*FAX文化
「FAXの着確認の電話」ほど、無意味な業務はない。いまだに校正がFAXのところもあるが、PDFではなぜダメなのか・・・習慣の力は素晴らしいが、負に回ると恐ろしい非効率を「当たり前」のものにしてしまう。

*ネクタイ着用、スーツ着用
この高温多湿の日本で、よく最近まで「クールビズ」なしで生活できていたものだと心底思う。本当にネクタイ・スーツが必要なビジネスシーンは、実は少ない。リラックスできる格好で働いたほうが、頭をクリアにしてアウトプットもできるというものだ(スーツを着たほうが頭が回る、という人はそうしたらよいだけの話。要は、「絶対にネクタイ・スーツ」という固定観念がすでに生産性を阻害しているかもしれない、ということだ)。

■働き方「修整」しかしていない
世で起こっている「働き方改革」のほとんどが、働き方「修整」「調整」の類だ。ノー残業デーなどその筆頭で、そもそもの「やらなくてよいこと」を削らずに、「時間だけ減らせ(あとはお前らで調整しろ)」とやっても、冒頭の「ノー残業 職場の外では 仕事増え」になるだけなのである。

単なる「流行」でよそもやっているからうちも・・というノリで働き方改革をやるくらいだったら、「働き方修整」など、むしろやらないほうがよい(職場の外で際限なく仕事をされたら、余計に過労リスクは高まるし、情報セキュリティの観点からしても望ましくないからだ)。

「やらなくてよいことを減らす」のは、「流行」ではなく「不易」の概念だ。「働き方改革」は、それを完遂させるだけの準備と覚悟が必要なのだ。なにせ「改革」なのだから。


2019年12月31日 公開

■「何のため 誰のためなの セキュリティ」
この警戒っぷり、まるで見えない敵と戦っているようだ・・・。バカみたいな長さのパスワード、データを持ち出すための複雑な手順。前者は「付箋」という、後者は「私用に添付メール」という、もっとも漏洩しやすい手段が濫用され、むしろセキュリティはガバガバになっているというのに。

■「景気が上向きゃ 増税で そりゃ消費など しなくなる」
ちょっとでも景気が上向けば消費税が上がる。国民はそれを学習したので、所得が増えれば貯金をし、所得が減っても貯金をして、「将来」に備えるのであった。

■「企業も学んで値は下げず 中身を減らしてステルス値上げ そりゃ消費など しなくなる」
「値下げ」は企業体力を下げる悪手でしかないと、20年以上のデフレ社会で企業も学んだ。値を維持したまま実効価格を上げる方法(中身を減らすか、粗悪化する)が主流で、どんどん貧乏くさくなっているのが今である。

■「年賀状 送るのやめたら 喧嘩減り」
以前は天皇誕生日が12月23日だったので、この日が「25日までに年賀状を投函(=元旦に年賀状が届く)」するための年賀状作業デーになっていたという向きも多かろう。今年からは平日になったので、それはできなくなった。

年賀状はもともと、「お年始回り」のハガキ版。例えば年初すぐに合うような同じ職場の同僚に対し、忙しい師走に、時間をかけて、喧嘩をしてまで作るようなものでは本来はない。

わが職場も、働き方改革の流れで「虚礼廃止」の流れになった。これで少なくとも25%ほどのハガキが節約されることになった。仮に20人規模の職場で年賀状のやり取りが廃止されると、それだけでこんなにお金が「浮く」のである。やらない手はない。

・はがき代 63円×20人×19人分=23,940円
・インク代 3000円×15人÷30枚(1人当たり平均30枚投函で計算)×19人分=28,500円
・印刷代 50円×10人=500円
(インク印刷が15名、印刷委託が5名と仮定して計算した)

計52,940円(1人当たり2,647円)

今や家庭でパソコンを使うことなどほとんどないという方も多かろう。そういうご家庭は、年賀状の時期だけWindows「7」(10ではないところがポイントである)のPCを引っ張り出してきて、プリンターを出して、いざ印刷をしようと思ったらインクがかすれて出ない・・・インクを買いに行ったら高すぎて買う気も起らない・・・泣く泣く買ったはいいもののヘッドが故障していて結局動かず、サポートセンターに聞いても修理代よりもむしろプリンターを新しく買ってしまったほうが安いので結局そちらを買う・・・この過程で不機嫌になり家族と喧嘩をして、デザインもいまいち決まらず、年の瀬のくそ忙しいときに準備に追われる・・・という悪循環である。

お金をかけて不愉快になるくらいだったら、もともと「日本の伝統」ではないのだから(近代になって郵便制度がはじまるまで「年賀状」という制度があるわけがないので)、「気にせずやめちまえ」ということになる。


2019年12月30日 公開

このページは一応「編集後記」という名前になっているが、基本的にはサイトのことをほとんど書かず、かなり好き勝手な所感を書く秘密の場所みたいになっている。

なのでたまにはこのサイトのこと自体を書くのだが、2003年2月に公開を開始したこのサイトも、いよいよ17年である。

ネットの世界は変化が激しいので、当時は個人の情報発信の主流であった「個人テキストサイト」など、ほとんどが「ウェブログ」「Twitter」「Facebook」「インスタグラム」(テキストと写真)・・・を通り越して、「YouTube」(動画)の世界にまで進展した。個人の発信欲、共有欲は完全にそこに吸収されていった感がある。

昔はテキストサイトランキングというのがあって(「Readme!」などが有名だった)、「静香の入浴シーンリスト」を公開した時など、今でいう「バズ」が起こって、そこの日刊ランキングで、数々の著名サイトに並ぶ6位になったのはよい思い出である(2005年8月3日)。

  >懐かしいサイトがいっぱい!

今や20年単位のかなりの老舗サイトが相次いでウェブログ化して見た目を新しくしていく時代。それでも、しぶとくテキストベースで公開しているサイトというのはある。

私も何百回もウェブログ化、スマホ最適化、いろいろと「見た目を変える」道を考えてきたのだが、なにせページが多すぎる(2000ページくらいかな、と思っていたら、3000ページ以上あった・・・)。

これを全部近代化するのにはえげつない時間がかかる。そこでサイトの「見た目」に力をかけるよりも、思い切り「昔の姿でやっています」感を出したほうがよかろう、という結論になった次第である。

実は裏ではすごく実験していて、WordPressやら、Concreteやら、あれこれでこのサイトがスマホでも表示が最適化されるよう、いじってはいたのだ。最終的には「2019年中にWordPressで作り直す」ハラを決め、一人で「見た目近代化プロジェクト」を立ち上げてもいた。

ただ、「見た目近代化プロジェクト」によって進行していた、「パイロットサイト」のトップページを見てほしい。このサイトがこんなおしゃれな感じになってしまったら、「何か違う」んじゃないだろうか。

【今のこのサイトのトップページ】

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【パイロット版のトップページ】

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・・・微妙である。実に微妙だ。

この「何か違う」ところに、このサイトの「このサイトらしさ」があるような気がして、「あ、これは安易に見た目の近代化にはしるのはやめよう」と思いとどまることになったのだ。

***

ただ、「見た目が古い」からといって中身まで古いわけではない。

まず肝心のコンテンツであるが、トップページの「雑記」こそ昔のように毎日更新などとてもできる状況ではないが(仕事も、家庭も、17年もたてばそれなりに責任のある立場になるものである・・・)、新しいコンテンツも追加し続けている。

19年だけでもNintendo Switchのスーパーマリオメーカー2のコース紹介ページとか、常に一定のアクセスのある健康に関する情報をまとめたページとか、実に現代的なコンテンツを立ち上げている。

また、ドラえもん年表など、常に情報が更新されるものについては、できる限りこまめにアップデートするように意識している(2004年8月の初版公開以来、50回目の情報更新となった)。

次に強調しておきたいのが、サイトのセキュリティ強化である。常時SSL化、すなわち、サイトのURLがhttpからhttpsになることであるが、これは「このサイトは古いまま放置プレイをしているわけではないですよ」という意思表示でもあった。

また、このサイトは古いテキストサイトらしく「Shift_JIS」を標準の文字コードとして設定したままであった(サイト内を調べてみると、「euc-jp」や、「x-sjis」なども残っていた!)。今や90%以上がUnicodeで記述されていることを受け、一挙にすべてのページを変換するということもやった。

同時にWindows PCからこのサイトを見るといまだに「MS Pゴシック」で表示される問題にも着手し、「Meiryo UI」で表示されるようにする標準フォントの見直しも行った。

このように、「見た目は古いが、メンテナンスは常時行っている」というのがこのサイトの現在の管理状況である。

古い家は、人が住まなくなり、管理が行き届かなくなるとすぐに痛み、ますます人が住めない環境になっていく。

ウェブサイトもこれは似ていて、管理が行き届かなくなるとすぐに古びてしまい、人が来ないサイトになっていくのである。

「管理人」とはよく言ったものである。

2000年代にスタートした「鬱色時代」。2010年代を超え、2020年代、30年代、40年代、50年代、60年代、70年代、80年代、90年代、2100年代、2112年(ドラえもんの誕生年)を超えても、まだまだがんばりまーす!!!


2019年12月28日 公開

あ 「明日まで」 断る若手と やる中堅 【若手の残業削減】
ここは昭和気質の残っている中堅が「やっておきます」!
い いつまでも 紙で印刷 わが上司 【ペーパーレス】
何もカラーで打ち出さなくてもいいのに・・・
う うちのなか 会社の書類の 保管場所 【フリーアドレス化】
会社には3箱までしか書類を置いておけなくて・・・
え AIを 扱うマニュアル 1000ページ 【AI化】
使い方もAIに教えてほしいよ!
お おそろしい 残業途中の シャットダウン【強制シャットダウン】
うおっ・・いそいでUSBメモリに保存しなくてはっ・・・
か 帰っても 歓迎されぬ お父さん 【プレミアムフライデー】
「え? あなたもう帰ってきたの?」「パパ、まだ帰ってこないでよ!」
き 喫茶店 遅い時間の マイオフィス 【風呂敷残業】
22時の閉店まで粘るぞ!
く 9時なのに カギ開け1番 電気つけ 【フレックス】
まだ誰も出社していない・・・
け 携帯が 鳴るたびビクつく 日曜日 【携帯電話支給】
なんだ・・自動応答メールだったか・・・
さ 探してる パソコン充電 できる場所 【リモートワーク】
ヤバい・・電源が切れそうだ・・・
し 新幹線 PPTで 酔いました 【テレワーク】
新幹線でPC入力してるとどうも酔うようになった・・
す 空いている 電車以外は もう乗れぬ 【フレックス勤務】
一度体感してしまうと、もうあの満員電車には乗れない・・・
せ せっかくの 端末使えぬ おじさんら 【ICT機器更新】
このiPhone・・画面が小さくて・・見えないぞ・・・
そ 「その通り」 理屈はわかるが できません【ビジョン共有】
理想と現実は違うのです。
た たった今 メールしました 電話する 【ICT機器活用】
昔FAX、今メール。
ち 「チームで」と 掛け声だけは ワンチーム 【PM型業務】
集まっただけで、中身はバラバラ・・・
つ ついさっき 開いたファイルが 保存不可 【共有ファイル】
「このエクセル、共有にしとけって言っただろ!」
て 手順なし 属人化すすむ マクロかな 【マクロ化】
Excelにパスワードを掛けたせいでだれもいじれない複雑怪奇なものが・・・
と 「とりあえず」 CCメール ばかりなり 【メール共有】
なんでもかんでも安心のためにCCつけすぎじゃないですか?
な なんにでも ICTで 予算つく 【ICT化】
とりあえず「ICT」を冠しておけば、大抵の施策は通るようです。
に 人間の 限界超える メール量 【ユビキタス】
まともにすべてのメールを読んでいたら、確実に気が狂います。
ぬ 塗りつぶす 個人情報 残業で 【個人情報保護】
「個人情報様」をお護りするために、残業してでもがんばります!
ね ネクタイの 締めかたすっかり 忘れたよ 【オフィスカジュアル】
一度ノーネクタイの魅力を知ってしまうと・・・
の ノー残業 なぜか増えてる 退職者 【ノー残業】
見かけ上の残業がないからといって、仕事量や評価が同じなら、そりゃ辞める。
は 働けど 決して増えない 手取りかな 【人事制度改革】
評価制度は厳しくなるばかり。税金と社保は増えるばかり。
ひ 必要な 人から消える 職場かな 【人材の流動化】
キーマンから他部署に抜かれたり、転職したりするのは世の常。
ふ 不安だと 打ち明けられる 人はなし 【人材の流動化】
職場に「話を聞いてくれるおじさん」がいません。
へ 平日の 朝だというのに 活気なし 【リモートワーク】
もはや「一斉に同じ場所で、仕事を開始する」ことが難しくなっています。
ほ 本当に 成果あがるの この制度 【制度から入る】
机上の空論で、制度や施策から入ると失敗しやすいでしょうね。
ま 漫喫の この部屋わたしの 指定席 【リモートワーク】
行きつけのお店ができました。
み 「みんなで」と なんでもグループワークする 【ビジョン共有】
とりあえずグループ討議で話し合うことって多くないですか?
む 「無理するな」 声かけだけは ホワイトで 【残業削減】
「仕事量 むしろ増えてる 無理だって!」
め 目に悪い 画面ばかりに 向かう日々 【在宅勤務】
ディスプレイばかり見ているので、目が疲れてきますよね。
も もう少し 紙を使って いいんじゃない? 【ペーパーレス】
そこは紙を使おうよ・・みたいなこともありますよね!
や やっぱりね 誰も守れぬ セキュリティ 【セキュリティ強化】
工程を複雑化しすぎると、「抜け道」ができて却ってホールができます。
ゆ 有休を 取ったはいいが 仕事する 【有休取得の義務化】
有休を使って「自主的に」仕事をするわけです。
よ 酔っ払い パソコン忘れて 酔いが覚め 【テレワーク】
飲み会の後、家で書類完成のために風呂敷残業。そんな人も多いことでしょう。
ら 楽をする つもりが逆に ややこしく 【ICT機器活用】
業務効率化のためのICTツールが、むしろ仕事を複雑にしていることも・・・?
り 「利益出せ」 結局それだけ 求められ 【働き方改革の目的】
結局は数字です。
る 留守番を 誰がやるかで 揉める日々 【リモートワーク】
お昼をしっかりととることが最優先事項・・・え?仕事は??
れ 連絡は 休日にこそ やってくる 【携帯電話支給】
そんな質問、平日に寄こせばいいのに・・・
ろ 労働の 目的誰もが 忘れてる 【ビジョン共有】
誰も「価値創造による社会貢献」に思いが至らない・・・
わ 忘れない 付箋にメモする パスワード 【セキュリティ強化】
パスワードを複雑にすればするほど、セキュリティは落ちます。

そういえば昔、社畜かるたというのも作った。併せてどうぞ・・・。


公開:2019年12月25日

2016年に日本の出生数が100万人の大台を割れたことは記憶に新しい。それからわずか4年で、90万人台も割れることがほぼ確実な情勢だ。前年比5%を超えるペースでの出生数減少は、1989年以来、実に30年ぶりの大幅減だともいう。

(参考)19年の出生数が急減(日経)

10年で20万人減少、そして団塊ジュニアも全員が45歳を超えて出産適齢期を過ぎた。「令和ベビー」を期待する向きもあったようだが、もはや鍋の底が抜けたような状況だ。

このような状況で、かつて2位にまで登り日本の一人当たりGDPは26位にまで転落。PICAの順位も捗々しくない。様々なデータから見ても、明らかに「国力」が減衰している。

日本人の平均年齢は48歳を超えて世界トップだ。もはや「若者の国」ではなく、「壮年の国」である。まもなくこれが「老年」となっていく。

ただ、周りがみんな平等に年老いているので、悲壮感はない。どちらかというと、黄昏時を、のんびりと過ごして、そのまま散っていく・・というような、「はかなさ」といえようか。

そんな「黄昏ゆく日本」を概観し、今後の在り様を探ってみるコラムである。


■ファミレス

あるファミレスの「サーロインステーキ」ランチを注文したところ、これまで食べたことのないような硬さと脂身で、半分以上が食べられなかった。

昔はファミリーレストランといえば「高級」「特別」が相場だったが、本当に変わってしまった。全部ではないが、今や「シングル向けの安飯屋さん」であることを存在意義にしているお店もあるようだ。「安かろう悪かろう」とはよくいったもので、確かに数百円でステーキを食べようとした自身の浅はかさを恥じるしかない。

もはやファミレスは、そもそもが「ファミリー」で行くところではなくなってしまったのかもしれない。なぜならば、標準的なファミリーはイオンのフードコートにいるからである。

■外国人観光客

「爆買い」という言葉に象徴されるように、とにかく爆発的に増えたのが外国人観光客だ。出国する日本人の数はここ20年で年間1500万ー1700万人くらいと横ばいなのに対し、訪日外国人はこの20年で300万人台からざっと2400万人台へ、2000万人以上という驚異的な伸びを示している。

ただでさえ日本人の購買力は落ちているのに、さらに「円安」とくれば、海外旅行はもはや「金持ちの道楽」である。一方でどんどん購買力をつけた外国人にとって、「円安」であればそれはもう、要するに日本は「安く行ける観光地」なのである。

もはや日本人が(ロックフェラーセンターなどを)「爆買い」する時代ではない。外国人に「買われる」立場になってしまったことを自覚するべきなのである。

■少子化

もはや歯止めの利かない少子化。男女雇用機会均等法を契機とする晩婚化・非婚化が加速し、そもそも「子どもを産める女性」が減っている現状を鑑みると、この流れはどれだけ政府が「産めよ、殖やせよ」とやったところで物理的に解消する見込みがない。

一番の原因は「将来不安」であろう。これだけ「国の借金が膨らんでいる」「年金が破綻するかもしれない」「社会保険負担が爆発的に増えている」「いつまでもあると思うな会社と雇用」と聞かされて、子どもを1人育てるのに、まずは自分たちがどうなってしまうのか、子育て世代は不安でしかない。これでは子どもはつくれない。

これに加えてありうるのが、「共働き疲れ」であろう。誰もがキャリアウーマン志向であるはずがなく、「夫の稼ぎがあれば、子育てに専念したい」という女性だっているのだ。社会が本当にダイバーシティ化を目指すのならば、「女性の社会進出が絶対善」という独善的なポリコレ志向は今すぐ唾棄し、「バリキャリは思い切り働けて、そうでない人はそれなりに」生きていける社会を志向すべきなのだ。

もはや公然の秘密となっているが、「保育園に本当は落選したい」という家庭は、実は非常に(おそらく統計に出ないレベルで)多いのである。実際はこんなこと正直にSNSに上げようものなら大炎上必至なので「表になかなか出てこない」だけだ。

育児休業の給付や企業の育休制度が「保育園の有無」で決まるから、すぐに復帰する気がない人でも、「とりあえず保育園に申し込む」(で、当選しても辞退する)のである。一部は、「当選したからやっぱり通わせざるを得ない」という人もいる。だから、倍率は見かけ上はすごく上がり、一時期ブームになった「保育園落ちた」云々みたいな家も出てくるのである。どうも、こんな厄介なことになっているのだ。1億2000万人のうち、どんなに多くても90万人×3(年間)=270万人=全国民の2.3%というニッチな問題なので、高齢者の医療問題(全国民の28.4%)と比べるとどうしても「緊急の」政策課題とはなりにくいのだ。

これは制度の問題である。保育園等に関係なく、育児休業給付金と同等の給付を一律で2年間受けられるようにすればよいだけだ(社保の免除を含む)。これだけで保育園の倍率はぐんと下がる。あとはバリキャリでも、家庭に入るでも、好きに選択したらよいのだ。

ちなみに予算規模は、例えば平均支給額151万円×90万人(年間出生数)=1兆3590億円となる。これはちょうど、(19年12月時点の)東京五輪の想定経費(1兆3000億円)とほぼ同額でもあり、また、少し古いが2015年度に会計検査院が指摘した「税金の無駄遣い」指摘額(1兆2000億円)とも近似している(※ミスリードを防ぐために申し添えておくと、17年度は過去10年で最小の1156億円とされているので、年度によってその規模はことなることは特に記しておきたい)。

たぶん、これくらいの規模で直接給付を行わないと、「子どもを産むことが不安」な社会は解消されないと思われる。

もっとも、これをしたからといって、母親の絶対数が少なくなっている以上、出生数の「下支え」にはなっても、ここから劇的に「100万人」「150万人」と出生数が回復するわけではないのだが・・・

■再雇用と賃金抑制

一昔前まで、日本は高齢化によって深刻な人手不足になるので、若者の給与水準が上がるはず・・・とまことしやかにささやかれていた。しかし、実態はそうなっていない。なぜならば、定年を迎えた団塊の世代が、豊富な「経験」と「知識」をもって、再雇用、シニアワークに勤しんでいるからである。

シニア労働者は、企業にとっては「安い賃金で経験値の高い労働者を雇用できる」というメリットがあり、政府にとっては「税金の払い手が増える(年金の貰い手が減る)」というメリットがあり、本人たちにとっても「ボケ防止になる」というメリットがある。誰も損をしないシステムなのだ。

だが、これも世の常。「経験」という誰も逆らえない財産をもとに、いつまでも一線を引かない年寄りがいればいるほど、若者の機会と、ひいては社会の活力は奪われていくのである。

もはや日本は「老人の国」。票も老人が持っていれば、カネも老人のもの。若者は金も権力もないから、絶対に逆らえない。そして、どんどんカネを吸い上げられ、いつまでも苦しんでいく。

■消費崩壊

高齢化で所得税の担い手が減り、グローバル化によって法人税も安定財源ではなくなってきた。本来、税はビルトインスタビライザーの機能を果たすべきものだった。しかし政府は「経済の安定」ではなく、「安定した財源確保」を優先し、もっとも「広く浅く」税を徴収できる手段である「消費税」を、ついに財源のトップに据えてしまった。もはや本末転倒ここに極まれり、である。

誰でも生きている限りは消費をするから、この国で生活させてやる証として、消費額の1割は税として持っていくぜ、と。つまりはそういうことだ。人頭税に等しい。

さらにここに謎の軽減税率やポイント還元が絡み合って、異常に複雑な税制となってしまった。もはや「どの店が10%で、どこが5%で・・・」と、いちいち考えてはいられない状況だ。様々な税率が絡み合い、正確にこの制度を説明できる人はもはや皆無であろう。

おじいさん・おばあさん世代でかたくなにキャッシュレスに移行しない人の言い分を見てみると、「なんだかよくわからないから」「大変そうだから」である。

どう考えても優先度の高い医薬品が「10%」で、発行者のプロパガンダメディアである新聞が「8%」など、論理的に説明のつかないことをやっている。こんなもの、誰も「よくわからない」のだ。一言でいうと、「面倒くさい」のである。

かつて三越の前身である越後屋は、世界で初めて定価販売(現金掛け値なし)を行い、その明朗会計で現代に続く栄華を極めた。

人様に金を出させるのなら、「わかりやすく、シンプルに」が一番。だからただでさえ「10%」と痛税感が高いところへ、こんな複雑なシステムを入れてしまっては、消費意欲を削ぐに決まっているではないか、と。

■ポイント、ポイント、・・・・ポイント。

官製キャッシュレスブームにより、多数のフェリカないしクレカ決済、およびQRコード決済が、まさに雨後の筍のように生まれている。

釣り文句は「ポイント還元」。事業者は、消費者のことを「ポイントに釣られるダボハゼ」ぐらいにしか思っていないのではないか・・・というくらい、徹底的にB層を狙って「ポイント、ポイント」で攻めている。

あんなに人を馬鹿にした広告で、腹を立てるなというほうがおかしい。「ポイントあげます」と、「ポイント」に言葉を変えるとソフトなのだが、「ポイント」の部分を「金」に変えると要は「金やるぞ、ほら。金が欲しいんだろ?」としか言っていない。

口を開けば誰もかれもがポイント、ポイント。これを「金」に変えると、いかに拝金資本主義の奴隷として我が国の庶民が資本に飼い慣らされてしまったか、が分かるというものだ。

こう書いたものの、消費者側からするとキャッシュレス決済にしないと大損だ。というのも、手数料無料のクレカは顧客側からはリボで、店舗側からは決済手数料で儲けている。ポイント還元の原資は店舗側からの決済手数料だ。畢竟、いくらポイントが還元されたところで価格にその原資は上乗せされているからである。

「いつもニコニコ現金払い」は、態度としては清貧だが、しかし、「同じ阿保なら踊らにゃソンソン」で、ポイントを還元してもらわないとはじまらないのだ。

ちなみに有名な話だが、「ポイント還元」と「割引」はまったく違う概念である。どちらかを選べと言われたら、間違いなく「割引」を選ぶことが肝要だ。

例えば10%の「還元」と「割引」でみてみよう。定価1000円(税抜)の品物を買ったとする。

(1)「10%ポイント還元」の場合は・・・
*1回目の買い物
【支払】1000円+100円(消費税)=1100円
【還元】1000円×0.1=100ポイント(円)

*次回の買い物で同じ商品をポイントを使って購入した場合
【支払】1000円-100ポイント(円)+90円(消費税)=990円
【還元】900円×0.1=90ポイント(円)

*合計のポイント(購入権利):190ポイント/2100円当たり(9.09%)

(2)「10%割引」の場合は・・・
*1回目の買い物
【支払】1000円×0.9+90円(消費税)=990円
【値引】1100円-990円=110円

*次回買い物でも10%割引で購入した場合
【支払】1000円×0.9+90円(消費税)=990円
【値引】1100円-990円=110円

*合計の割引額:220円/2200円当たり(10%)

ちなみにこれを数式化すると、以下のようになる(ポイント還元率(%)=xとおくものとする)。

実割引率Y(%)= X /( 100% + X )

この計算式で行くと、以下の通りとなる。

  • 3%還元→ 2.91%
  • 5% → 4.76%
  • 10% → 9.09%
  • 20% → 16.67%

よく「20%還元!」という広告を目にするが、実割引率は「16.67%」である。実店舗で「2割引」をしているのであれば、目先のポイント還元に気を取られることなく、躊躇なくそちらでの購入をしてよいことになる。

■地上波テレビ離れ

ゴールデンタイムに君臨していた「ドラえもん」と「クレヨンしんちゃん」が、ついに「土曜日の夕方」という、当の子どもすら見ていない時間に遷されてしまった。

もはや地上波テレビ局は、「子どもや若者の見るもの」ではなく、「高齢者が見るもの」に完全にシフトチェンジした感がある。

会社でも20代の若者が「テレビを持っていない」というのがもはや普通になった。肌感覚だが、地上波テレビを習慣的にみているのは、生まれた時からテレビ漬けで育った団塊の世代前後の高齢者と、30代中盤以降の独身世帯である。

統計でもなんでもなく恐縮だが、これ以外の世代は、もう、驚くほど地上波テレビに依存した生活を送っていない。

アマゾンプライムを筆頭に、「見たいときに、見たい番組」を好き勝手にみられるし、地上波で本当に見たい番組は録画することができる。タイムシフト視聴がむしろ習慣化しており、「決まった時間に、決まった番組を見る」ということはおろか、「ながら見」自体も消えようとしている。ちなみにキッズは「YouTube」でヒカキンやマイクラの実況を見ており、なおさらテレビからは遠ざかっている感がある(ヒカキンの動画の視聴数を見ると、「テレビに出演する」系の動画より、圧倒的に「やってみた」系のほうが稼いでいる)。

ちなみにまだ、かろうじて「人気のテレビ番組」は残っているが、それでも週間視聴率が20%に届かないことが普通になった。むかしは「5時から男のグロンサン」など、「名物CM」があったものだが、今や「人気のCM」などまったく思い浮かばない。

よく、「テレビ離れ」というが、何のことはない。みんな「画面」は見ているのだ。離れたのは、明確に「地上波テレビ」そして「若者」である。

ゴールデンタイムに健康ものは若者にとって興味がない。クイズも学校の勉強でたくさんだ。草食化が進んでいるのに恋愛ドラマでもない。もはや「地上波テレビ」と「若者」の組み合わせが終わっているのだ。

・・・今はそれでよい。高齢者で視聴率がとれるのだから。ただ、高齢者が入れ替わり、「習慣化(馴化教育ともいう)」を受けていない若者たちがいずれ高齢者になった時、果たして今までのような番組を見るのだろうか。

■東京オリンピック狂騒曲

驚いた。札幌でマラソンをやるとは。
驚いた。天井スカスカのスタジアムができるとは。
驚いた。ボランティアとして、学徒動員をやるとは。

驚いた。暑さ対策が「朝顔」と「氷風呂」とは。

一度はじめたら、とまらない。なぜなら、「やること」が目的になってしまっているから。異を唱えれば非国民。心頭滅却すれば火もまた涼し。戦時中の精神構造とどこが違うのか。

軽減税率で骨抜きにされたマスコミも、こぞってこの「国力衰退の象徴」たる儀式に異を唱えることなく協力するのだ。戦時中の精神構造とどこが違うのか。

もはや完全に残念なことになっている(出だしのエンブレムから)のに、臭いものにはふたをして、とにかくやっちゃえ、どうせ国民の金だから、と。

■まとめ

【政治家(せいじか)】特定の国民の利益を代表して、人のお金で自分のやりたいことをやる人のこと。

【報道(ほうどう)】国民のためと称して、国民を為政者の思うままにコントロールできるよう、一律で白痴化する手段のこと。


公開:2019年12月23日 

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