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あべのみくす【アベノミクス】:「エコノミクス」(経済)と「安倍」晋三内閣総理大臣をかけた造語。旧政権の行ってきた露骨で売国的な円高誘導とデフレ施策から脱却し、円安誘導とインフレ施策によって日本国内のカネの流れを活性化させ、20年来の大不況から脱却することを企図した救国的経済政策全般をさす。ただし同時に消費税増税も行うため、その効果は2013年度内で終了するとの見方も強い。

(解説)消費増税に賛成する人って、「国の借金が大変だから、仕方ない」って言うけれど、それ、騙されてますよ。消費税は「福祉目的」って言っているじゃないですか。別に、国債の返済資金に消費増税を充てるわけじゃないんです。そもそも「国の借金」といっても、「政府の借金」であって、別に国民が諸外国に借金を背負っているわけじゃないんですよ。会計上、あくまでも政府が「円」ベースの借金をしているだけなんです。いわば家長が実子から金を借りてそれが天文学的数字に膨れ上がっているのであって(それはそれで体面が悪い話ですけれど)、それ自体は対外的なマイナスを意味するものでは実はありません。そもそも日本は「純債権国」です。つまり、カネ自体はあまっています(人に貸すほどあるという意味ですね)。政府の財政は火の車だったとしても、国全体ではストックの宝庫なのです。なんでそんな純債権国が、純債務国のような「首が回らなくてピンチ」という状況を想像しなければいけないんでしょうね。政府は国民を明らかに脅かして増税しようとしています。おかしな話ですね。せっかく景気が上向こうとしているときに、どうして「景気に水を差す」ことができるのか・・不思議でなりません。

いまでしょ【今でしょ!】:東進ハイスクール現代文講師・林修先生の決め台詞。正しくは「いつやるの? 今でしょ!」。例の戦場カメラマン同様、マスコミの流行パターンの典型例で、「流行する」→「テレビなどに出まくる」→「消費終了」という流れを地で行くことが目に見えているため、そろそろ見ていて徐々に不安になってくる。まあ、そこまでを含めて流行というのだが。ここまで来るとマスコミが国民と作り上げる一種の伝統芸能みたいなものである。・・まあそれは大きなお世話だったとしても、だいたいテレビに出過ぎると、最後は専門外の評論などをはじめて不評を買うものなので、それがないことを今回こそは祈りたい。

おもてなし【お・も・て・な・し】:2020年東京五輪招致成功のシンボルとなった、滝川クリステルのプレゼンテーションの一つ。「大人の事情」により、基本的にはこれが流行語大賞になるということが今から想像できてしまう。ついでに今年の漢字は「輪」か「演」だろうな。

じぇじぇじぇ【じぇじぇじぇ!】:NHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』で主人公能年玲奈はじめ東北の方々が驚いた時に思わず口にする言葉。「方言を話す女子はかわいい」という若い男子や、「小泉今日子と薬師丸ひろ子の歌が聞けるなんて幸せ」というおじさん世代のハートもがっちりつかみ、番組は大ヒット。「朝ドラ」らしさを残しつつも斬新な世界観を取り入れた脚本・演出の素晴らしさも特筆すべきもので、特に最終週の火・水・木の3話は特に神がかり的に素晴らしいストーリーであった。これは全国の「あまちゃん」ファン、あるいはファンでない人をも感動させた(火:列車でプロポーズのペイント、水:薬師丸ひろ子が「♪三代前からマーメイド」と歌い切るシーン、木:伏線を回収しきって安心の結婚式)。劇中歌の「潮騒のメモリー」は間違いなく今年の紅白歌合戦に出てくるだろうと予想される。

ばいがえし【倍返し】:TBS日曜劇場『半沢直樹』(平成版「水戸黄門」)で主人公半沢直樹が口にする仕返しのセリフ。正しくは、「人の善意は信じますが、やられたらやり返す。倍返しだ」。前半の小木曽のムカつき度合、浅野支店長の凋落っぷり、後半の大和田の怪演、黒崎のオカマ度、ミッチーの怪しさ、近藤の漁夫の利など、わき役の人間臭さも群を抜いており、久し振りに「職場でも話題になるドラマ」の地位を築いた。この時期だけは、全国のサラリーマンたちは「サザエさん症候群」というより「半沢直樹症候群」に罹患し、「半沢」を見るたびに「ああ・・明日は会社か・・」と暗い気持ちになるのであった。それだけの影響力を持ったドラマである。結果として最終回の視聴率は42%を超え、平成ドラマの頂点を獲った。連休だったので、旅行先でこれを見たり、ビデオで録画してみた人も多かろう。勝手な予想だが、実質の視聴率は、6割を超えるのではなかろうか。

(解説)・・・ということで、放送終了後に池井戸潤の原作を全部買った。面白い。そして、予想以上に原作が活かされたドラマであったことを知る。視聴者をバカにしなかったからこそ、視聴者はついてきたのである。とはいえ原作はもっとドライだ。人事異動はある意味懲罰的意味合いがあることもしっかり説明されているし、羽根専務は男だし、まあ、これが現実だよな、と思っていい意味で鬱になった。そして、改めて堺雅人のすごさ(『新撰組!』の山南先生、『篤姫』の徳川家定など、大河ドラマでも奇跡的な演技を数多くこなしていたのだから当然と言えば当然なのだけれど)、香川照之のすごさ(大河ドラマ『秀吉』や・・そうそう、映画『カイジ』も好きなのだ。もう、顔が凄い)を感じたところ。あー、毎日でも見たいよ、この二人の演技。で、「半沢直樹」の終わってしまった最初の日曜日、寂しさに耐えかねて、堺雅人主演、共演が香川照之の『鍵泥棒のメソッド』を見たのだよ。そしたら、『あまちゃん』の車掌も悪役で出ていて吹いた・・。今年『あまちゃん』と『半沢直樹』にハマった人は、ぜひ「鍵泥棒」のほうも見るとよい。・・・何が言いたいかというと、「意外な共演」を探すのって面白いんだ、ということだ。さてここからまったく話は変わるけれど、フジの『最高の離婚』というドラマがあって(※さらにこの1つ前のドラマが『結婚しない』というやつで、この主演が堺雅人の妻の菅野美穂だったりする)。ここで尾野真千子と真木よう子とのアンニュイな演技が実におもしろかったのだが、最近封切られたばかりの映画『そして、父になる』でも共演していた。まったくこの二人、同じ感じでアンニュイなの。面白すぎる。ああ、これも見てよかった。この映画は「ピアノ」が隠れモチーフになるのだけれど、私は幼少のころからブルグミュラーの練習曲『清い流れ』が大好きで、「好きな曲ランキング」でも1位に入るほどでして。それが劇中のいいところで流れるものだからさあ大変。最後のクレジットで「清い流れ」という文字が出たとたんに、涙が止まらなくなってしまった。映画で泣いたのって久し振りだな。

以上、流行語大賞レースでした。
最後は全然関係ないことになっていますが。言いたかったことは、「半沢直樹超楽しかった!」ということと、「消費増税したら絶対に景気を押し下げる(から、今回は先延ばしすべし)」ということの2点なのだ!

これでいいのだ!


公開:2013年9月30日

「いまいちよくわからないまま大人になったランキング」で常に上位にランクインするのが、「読書感想文の目的と書き方」ではないでしょうか。ここでは、それを簡単に解説してみたいと思います。

★読書感想文の目的とは?

<国家的目的>
そもそも「国民教育」たる学校教育の主目的は、戦前は「兵隊養成」でした。戦後は「社畜養成」です。本質的な意味は何も変わっていません。要するに、「従順な羊」をつくるのが国家教育の目的なのです。これは良いも悪いもありません。そもそもが、そういうものなのです。

さて「社畜」とは、<文句を言わずに働き、黙って税金を納める>圧倒的大多数の国民のことです。いわば社会の歯車ですね。これがなければ、「健全な」経済社会など成り立ちえないのです。

そんな彼らに求められるのは、規格化された「素直さ」です。

国民教育の一貫として行われる「読書感想文」では、その「素直さ」養成のプログラムとして「相手の求めていることを回答する訓練」を行います。すなわち、「この本はいい本でした。自分の学びになりました」という素直な感想を述べることが求められているのです。出題者は、決して「意見されること」や「ひねくれた新説」を求めてはいません。別解は、反逆と同じなのです。

ですから、とくに素直な感想を書いた者は教育委員会によって顕彰されます。とくに顕彰されないまでも、「よくできました」とほめられ、先生の覚えめでたく、学校の成績もよくなります。

よほど空気が読めないか、バカでない限りは、「素直で反抗しなければ世渡りがうまくいく」ということを自然と学びます。そのための「気づかせる」ツールの1つが「読書感想文」なのだと心得ましょう。

<教育的目的>
上述の通り、「読書感想文」は社畜養成のための国家教育における通過儀礼ですが、国語科としての教育的意味も勿論あります。それは、「文章の主題(テーマ)を探す訓練」という部分です。

読書感想文を書かせる最大の目的は、最初に申しあげた通り「相手が求めることに応えるロボットを造る」ことですが、このことはすなわち、「自分の感じたこと」とは無関係に、「作者が言わんとすること」を抽出する訓練でもあります。要は「読解力」であり、普段の読書量の差が如実に現れます。

誤解を恐れずにいえば、読書量の差は家庭の教育力の差です。つまり、家に本があるかないか。知的環境の差で明暗がはっきり別れます。

勉強というのは、そもそも読解力がなければお話にならないわけです(それは、読書感想文だけに限らないのは言うまでもありません)。「エリート」と「ノンエリート」を振り分ける仕組みが「読書感想文」ひとつにも暗に備わっているのです。怖いですね。

<社会的目的>
もう一つ、読書感想文の目的に、社会的なものがあります。それは、「本音と建前を弁える訓練」です。

「読書感想文」とは、賢明な読者氏はお気づきの通り、「感想文」なんかではなく、真意は「読書レポート」です。どんなにつまらないものでも、「私は本を読んで、感銘を受けました」という「プラスの報告」を先生にする、という意味でのレポートです。

この発想は、社会人になったときに大いに役立つスキルなのです。

会社でサラリーマンが上司に「この本を読んでおけ」と言われたとします。後日「感想は?」と聞かれた時に、正直に「つまらなかった」「宗教じみていて気持ち悪い本だった」「面倒くさいので読んでいません」「○○という部分がおかしいと思います」って本当の感想は絶対に言わないでしょう?わざわざ解説するまでもなく、「私はこの本を読んで感銘を受けました」と答えるべきなのです。

読書感想文は、その「空気を読む」訓練を、ダメージのない学校時代においてしているわけです。だから、まじめにやったほうがいいですよ。

社内の勉強会で配られる「アンケート」は、「意見を書く」のではなく、「私は反逆者ではありません」という意思表示をしろ、という意味ですね。

「ごめん寝てた」は、「本当に寝ていた」のではなく、「気づいてたけど、返す言葉が思いつかなくて放置してた。つまり『寝かせてた』」、という意味です。

まさか気になる異性からの「また是非飲みましょう」「機会があれば是非!」というお誘いの返事を、「OK」のサインと思う人はいますまい。

読書感想文の「感想」という言葉。これは、言葉には二面性がある、ということを知る訓練だったのですね。

***

さて、「読書感想文」とは、規格化された素直な社畜を養成するためのツールであることが分かりましたので、その「書き方」を見てみましょう。

★読書感想文の書き方

一言で言って、「満点」を目指さない(及第点でよい)ならば、ほとんどテンプレート的に組み立てることが可能です。

(1)本のポイント(盛り上がり)の部分を最初に抜き出して、「感動した」「すごいと思った」「新鮮に感じた」「学びになった」「気づきを得た」と書く。既知のことなら、「改めて」という接頭辞をつけるとよい。

(2)次に、作者が言いたかったことを想像し、文の中心主題を2―3程度抜き出して、最後に「感動した」「すごいと思った」「新鮮に感じた」「学びになった」「気づきを得た」と書く。既知のことなら、「改めて」という接頭辞をつけるとよい。段落ごとに1シーン、が理想。

(3)最後に、自分がこうしたいと思った、という決意を書く。だいたい、「戦争反対」「平和」「環境を大切に」「エコ」「絆」「仲良く」「ふれあい」「自身のこれまでを反省」「早速―したい」「明日から―したい」などの便利なキーワードがあり、それで収まる。偏向教師の好きなワードを子供らしい素直な筆致で散りばめたらよい。

これでまず悪い評価はされないはずです。10のいい評価より、1の悪い評価が響きます。将来の「社畜」としては、「いい評価」よりも「マイナス評価を取らない」ことにまず腐心しましょう。


公開:2013年9月2日

お知らせです。

過去、公開していたウェブログ(サイト移転に伴い2011年6月公開終了)のアーカイブ化を進めていましたが、このほど完成いたしましたのでご報告差し上げます。

鬱色News Clipリターンズ
「鬱色News Clip」は、所謂「孫引きニュースサイト」タイプの情報ページでした。旧「遠足新報」(2003年公開)から数えると、このサイトでも古い部類に入るコンテンツのうちの1つです。2003年8月から2010年3月までのすべての記事をログ化しました。リンクが消えているページもありますが、そのままにして残してあります。気になる記事がありましたら、ぜひクリックしてお楽しみください。

編集雑記アーカイブス 2004-2011
このページの前身である随筆コラム「編集雑記」に書かれた597本の記事をすべてログ化しました。扱っているテーマは様々で、日常、政治、経済、社会、仕事、歴史、教育、哲学、紀行、思想、IT、技術、鉄学、文学、芸術、考現学、サブカルチャー、ゲーム、街角ウォッチング(路地好き&ビル萌え)、反エコ、などが挙げられましょう。昔から同じことを主張していたり、微妙に言い回しが変わっていたり、人間の思考の変遷というものが分かります。

Re: P*F*J
日本の変わったところを英語で紹介するウェブログです。このサイトの中でも極めて異色のページです。英語が正しいかはともかく、やってみたかったんですね、こういうこと。

24時間おはよう日本、ふたたび。
2004年の夏に実施した、「24時間で100回更新する」ためだけにつくられたウェブログです。実際には26時間半かかっていますが・・。「血の迷い」としか言いようがありませんが、むかしはこういうちょっとバカなことをしてみようという体力や精神力がまだあったのだな、とちょっと感慨深くなっています。

ちなみに、今このサイトで公開しているウェブログは、以下の4本になります。

遠足新報
調査研究ウェブログです。ドラえもんを中心とした研究を日夜行っております。このページをご覧になっているかたはおそらくご承知の通り、当サイトで最もアクセス数を稼いでいるページでもあります。なおタイトルが「新報」となっているのは、先述したとおり、そもそもが孫引きニュースサイトとして出発したためです。

鬱色情報Clip!
旧「鬱色News Clip」が発展的に解消してできた「情報系ウェブログ」です。私はどうも「二次情報ページ」を作るのが難しいタイプのようで(孫引きニュースサイトとかまとめサイトとか)、せっかくならば、と「一次情報」型のページを作ってみた、というのが経緯です。

編集後記
このウェブログです。サイト本編では絶対に書かないような、面倒くさいことから雑多なことまでエッセー風に書いています。敢えて目立たせていないので、サイトを隅から隅までご覧いただくような、ディープな読者向けのページです。

ぼくのじろうにっき。
所謂「闘病日記」です。管理者が痔瘻で入院したことを記録して、世に痔瘻の恐ろしさと傾向と対策とを知らしめる目的で公開しています。

以上8本、これだけでもサイト本編に匹敵する分量があるかと思います。ぜひ、ご覧下さい。


なお私のサイトのウェブログの特徴ですが、「コメント」と「トラックバック」欄が設けてございません。これは、単純に私がそういう「つながり」のツールを好まないためです。「コメントに返さなきゃ」とか、「トラックバックを追跡しなきゃ」とか、「スパムに対応しなきゃ」とか、記事以外の部分まで頭を回すほど器用ではないためです。

社会生活を送る以上、「Facebook」も「ツイッター」も「LINE」も、かつての「mixi」だってアカウントを持ちますよ。持ちますけれど、その利用における「ルール」が「強制」になって生活が侵食されるのが苦手なのであります。一言でいえば、「自縄自縛にはなりたくない」っていうんですかね。

かつてのmixiの「足あと」や、今でいえばLINEの「既読機能」など、「利用者が選択できないのに勝手についている迷惑機能」というのが私は苦手で仕方がないのです。

「足あと」さえなければ、私はmixiをもっと使い続けたであろうし(途中から足あとが廃止されたころにはもう心が離れているわけです)、「既読」さえなければ、なんでもかんでもLINEで連絡をしているはずなのです。まだFacebookの「いいね!」が強制でないだけ、ありがたいのです。

私と同じ感覚の方って、結構いらっしゃると思うのですが・・・。


公開:2013年8月13日(2016年7月16日誤字修正)

タイプ1:単位を変えてみる

「タウリン1000mg配合!」というと「すげー」と思うが、これが「タウリン1グラム配合!」というと、「あ、そ、、そう・・」となる。

あるクラブの会員が100人から105人に増えたとする。これを「1か月で5%の増加!」といえば評価はされやすかろうが、「1か月で5人も増えた!」とやっても「あ、そ、、そう・・」となる。

物は言いよう。本当にそうだと思う。

電車に貼ってあったこの広告。あまりにも秀逸だったので思わず撮影してしまった。

「1日24回の情報更新」・・これ、ものすごく素敵な表現だと思わないだろうか。

要するに、「1時間に1回の更新」ということなのだが(十分すごいが)、これだと今次のポータルサイトとしては「ふーん」で終わってしまいかねない。言い方を変えただけで、「ものすごく情報が新しいサイト」と感じることができるのである。

このキャッチコピーを考えた人、私はかなり好きである。

***

タイプ2:婉曲表現

駅のトイレには、よく「いつもきれいに使っていただきありがとうございます」という注意書きがある。要約すると、「きれいに使えよ、この野郎」ということ。

京都の「茶漬け」や、閉店間際の店の「蛍の光」を持ち出すまでもなく、こういう婉曲的表現は、どうも「島国根性的」というか、「嫌味」っぽくて私はあまり好きではない。

ただ、使いようによっては「いなせ」な表現になることもある。
例えばこれ、ある蕎麦屋(おいしい)で見つけた注意書きなのだが。

tabacco

「店内でのタバコは 煙を出さずに お楽しみください」
直訳すると、「煙草を店内で吸ったら追い出すぞ」といっているのに等しいのだが、無機質に「店内禁煙」と書かれるよりはよほどスマートである。

***

タイプ3:言い換える

最近、「デブ」のことを「ぽっちゃり」と言い換えるのがブームらしい。「デブだけど愛嬌がある」というのは「ポチャカワ」というらしい。

勝手に言ってろ、とは思うが、今までの流行は、基本的には相手を不安がらせることで成り立ってきた。しかし今次の「ポチャカワ」は、要するに「今のままでいいよ」という「安心」をキーワードにしたという点で、特筆に値する。ダイエットは「不安」が元で、忌々しい「デブ肯定」は「安心」が飯の種、というわけ。

「30代でも輝くワタシ」「40代でも自分らしさ」「何歳でもがんばる女子力」とか、女性誌は結構、残酷ともいえる「ワタシ肯定」をするようなところがあるので、あまり真に受けないように。「婚活」煽りと「おばさんになっても輝くワタシ」煽りは、マッチポンプだからね。「安心」ってそもそもが不安の裏返しだから、この2つの特集を繰り返していれば、結構売れるんだろうけど。

おっと余談が過ぎたようだ。要するにこういうことだ。

全然フォローになっていない。


公開:2013年8月6日

◆こんな隣人、いやでしょう?

仮定の話をする。

ある一家があったとする。仮にN家としよう。
N家は経済的に豊かで、家族で平和に暮らしている。

近所に、ちょっと仲の悪い家があったとする。
仮にC家とK家としよう。

N家、C家、K家とも、代々、一族がこの地に住まうている。

C家は、60年くらい前にA家との間で起こったトラブル(すでに家裁で和解済)をいまだにネチネチ言ってくるので、N家の人々を困らせている。すでに当時を知る者たちはほとんど他界しているというのに。

K家は、ことあるごとにN家と張り合おうとする。ちょっとでも気に食わないことがあると、表札を複製して、それを家の前で焼くのだ。怒鳴り込んでくることもしばしば。

N家は経済的に豊かなので、相対的に貧しいC家・K家からはたびたび妬まれてもいる。しかしC家・K家の困窮を救おうと、N家はC家・K家には度々、金銭的な支援をしている。

にもかかわらず、C家・K家はN家のことを「敵」としか思っていないのだ。そもそもC家もK家も、家長以外、金銭援助のことを知らない。だから両家の家族は心底、N家を憎んでいる。

こんなこともあった。
N家はすこし離れたところにに先祖代々の土地を持っているが、そこに江戸時代の小判が発見された途端、C家が「ここはうちの土地だ」と騒ぐ。K家も「いや、うちのだ」と騒ぐ。K家に至っては、不法に小屋まで立てる始末。

N家の家族は、「もう、C家ともK家とも付き合っていられない」と日々頭を悩ませている。

しかし、N家の家長だけは変わっている。彼は新聞記者・・・仮にA新聞の記者としよう・・・である。彼だけは、こう主張するのだ。

「過去の歴史を反省し、C家とK家と仲良くしよう」と。
いったい、どこの味方だ。

***

これをもう少し上の社会階層に敷衍してみよう。あくまでも仮定の話。

ある国家があったとする。仮にN国としよう。
N国は経済的に豊かで、国民は平和に暮らしている。

近所に、ちょっと仲の悪い国家があったとする。
仮にC国とK国としよう。

N国、C国、K国とも、代々、この地に一族が住まうている。

C国は、60年くらい前にA国との間で起こったトラブル(すでに国際法上は解決済)をいまだにネチネチ言ってくるので、N国の人々を困らせている。すでに当時を知る者たちはほとんど他界しているというのに。

K国は、ことあるごとにN国と張り合おうとする。ちょっとでも気に食わないことがあると、国旗を複製して、それを見ている前で焼くのだ。怒鳴り込んでくることもしばしば。

N国は経済的に豊かなので、相対的に貧しいC国・K国からはたびたび妬まれてもいる。しかしC国・K国の困窮を救おうと、N国はC国・K国には度々、金銭的な支援をしている。

にもかかわらず、C国・K国はN国のことを「敵」としか思っていないのだ。そもそもC国もK国も、リーダー層以外、金銭援助のことを知らない。だから両家の家族は心底、N国を憎んでいる。

こんなこともあった。
N国はすこし離れた海上に先祖代々の土地を持っているが、そこに油田が発見された途端、C国が「ここはうちの土地だ」と騒ぐ。K国も「いや、うちのだ」と騒ぐ。K国に至っては、不法に占拠までしてくる始末。

N国の国民(ふつうの感覚をもったまともな国民)は、「もう、C国ともK国とも付き合っていられない」と日々頭を悩ませている。

しかし、N国を牛耳る「国民の代表」面をする自称「社会の木鐸」とやらだけは変わっている。仮にA新聞としてみよう・・・

彼だけは、こう主張するのだ。

「過去の歴史を反省し、C国とK国と仲良くしよう」と。
いったい、どこの味方だ。

***

日中韓の関係をご近所づきあいに直してみると、こうなる。
それを擁護するのがいかに異常なことか、分かるというものだ。

もし自分自身にこのようなことがあっても、「隣人に配慮しよう」と書ける記者はいるのか?よくよく考えてみろってんだ。


◆まだまだ不況は根深いのだ

職場が駅チカのビルに移転した。

場所は伏せるが、かなり至便の地。しかも新築。
しかしテナントは半分しか埋まっていない。

かなり深刻な状況だと思う。
前政権までの売国的な円高政策が「正常値」に戻っただけで、はっきり言って内需はまったく回復していない。それを象徴的に表す事例だ。

政府のインフレ施策(高齢者への資産課税)には賛成なのだが、消費増税というデフレ施策(若年層へのフロー課税)を同時に行ってその効果を打ち消すというちぐはぐな経済政策は、どう考えても異常である。

どこかからの圧力と勘繰らざるを得ない。

何が言いたいかというと、老人が金を持っているのに使わない以上、ストック課税はどんどんやるべきなのだが(医療費増額よりはよほどスマートな資産移転の方法なのだ)、今ここでフロー課税を強化すると、完全に経済の息の根が止まる、ということだ。

繰り返すが、景気は微塵も回復していない。ちょっと街を歩けば肌感覚で分かることだ。見かけの数字など、為替次第でいくらでも操作できる。今までの円高が異常だっただけなのだから。

何度でも書くが、デフレ下でのフロー課税など、狂気の沙汰。聞いたことがない。はっきり言って、やったらただのバカである。もし「今」消費増税をしたら、円高を強行した売国政権よりも、もしかするともっともっと売国的なことになるかもしれない。

ここからは蛇足。「年1%ずつ上げれば影響が少ない」などとのたまう大馬鹿野郎がいるが、そのたびにシステムを変えさせられる企業のことを考えているのか?想像力の欠如甚だしい。

そういうなら、お前が全部やってみろってんだ。システムから案内まで全部変えるんだぞ?大混乱するに決まっているじゃないか。


◆「未来」はくるのか

「ドラえもん」の道具で実現しているもの。「ききがきタイプライター」=音声認識ワープロ、「糸なし糸電話」=携帯電話、といったところか。ほかはちょっと想像がつかない。タイムマシンはどこへいった。原作を読むと、2008年発明、とあるのだが・・・

昔の<未来もの>を読むと、少なくとも私の知る限りでは「パーソナルコンピュータ」「携帯電話」「スマートフォン」「タブレット」が登場しないので、さらにかつての「未来観」とずれてしまっているのが実感である。「大型コンピュータ」と「パンチカード」「トランジスタ」から、「スマートフォン」は確かに連想しにくい。そして、決まって「人口爆発」ときたものだが、実際は「老人過剰」「負債過剰」でしかなかったわけだ。

そう。かつてほど「未来」という言葉に甘美な響きはない。
「未来都市」といっても、昔SFで描かれたような「完備都市」ではなく、むしろ「不完全都市」というほうが実感としては想像しやすい。

もはや未来に、かつてのような夢はないのだ。「今よりよくなる」とは思えないが、「今より悪くなる」とも思いたくない。微妙な状態。逃げ道がないから、畢竟、うつ病患者も増える。

少なくとも確実なのは、「若者が老人の奴隷となる」社会。それだけだ。

よく言われる「若者の○○離れ」、はそのまま、「老人が全部搾取しているからだろ」という世代論にしかならない。あまりこういう未来論は読んだことがない。

現実は一番現実的、すなわち、冷酷なのであった。



◆思考の壁

こんななぞなぞがある。

「あるトラック運転手は、愛する息子から一度もパパとか、お父さんとか呼ばれたことがないという。なぜだろう?」

幼少期に「なぞなぞブック」のような本の「いじわる編」に書いてあったなぞなぞだが、いまだに鮮烈な印象を伴って覚えている。私は、己が想像力の未熟さを悔いたものである。

答えは、「母親だから」。

フェミババアあたりは、こういう問題に引っかからないよな。もし引っかかるんだとしたら、一遍生まれ変わるとよい。貴様も知らず知らずのうちに差別しているんだよ。

人間の常識の壁は、本当に厚く堅い。


公開:2013年8月4日

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