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※これはフィクションです

JMさん
アメリカ育ち。金持ちが大好き。

MSさん
韓国育ち。日本人のことが嫌い。

NIさん
大阪育ち。炎上商法が大得意。

KMさん
出身地不詳。個人崇拝が趣味。

MNさん
テレビ育ち。世論に靡くことと整髪剤が好き。

SKさん
岩手育ち。常に自分の生活が第一、が信条。

NKさん
ソ連育ち。自分以外の金持ちが嫌い。独裁が趣味。

SMさん
北朝鮮育ち。ヘーワというお経を唱えるだけで助成金がもらえる。


公開:2013年7月20日

=飼われるぼくらの処世術10訓=
1、面従腹背
2、怒りは腹に飲み込んで 表の顔では太鼓持ち
3、誰にでも合わせて 日和見生活
4、寄らば大樹の陰
5、虎の威を借る狐
6、猫も杓子も 付和雷同
7、本音は隠し 着飾れ建前
8、ゴマすり過ぎて プライド粉々
9、八方美人で 不細工になる心根
10、常に笑顔で やり過ごせ

=飼われるぼくらの標語10本=
1、「薄いアルミのコンテナで 今日も 行く行く 家畜かな」
2、「同調だ はいそうですか 空気読め」
3、「イエスノー 察する力 上の顔」
4、「それぞれの 意地とプライド 傷つけぬ 調整能力 問われてる」
5、「正確に 時間を守れ 最初だけ 終わる時間は 誰も問わない」
6、「あれは黒 命じられたら 黒なんだ」
7、「根を回し 回りまわって 腐ってく」
8、「その判子 何人の命 握ってる?」
9、「人にはね 感情というものが あるのだよ」
10、「言いやすい 人はいつでも サンドバッグ」

勝手に期待して
勝手に機嫌悪くなって
勝手に納得する
・・それが大人です。

それでも生きるよ!!!


公開:2013年7月20日

mtfuji

飛行機の窓から見えた富士山の威容。


公開:2013年6月23日

このサイトが公開されて10年。振り返ってみると、「10年ひと昔」という言葉通り、世の中は確実に変わっていることに気づかされる。

「何にも変わってないじゃん!」と思いがちでも、よくよく考えてみると、当時は「ブログ」なんてものはまだなかった。個人でWebサイトをもっていること自体が(今以上に)一般人には奇特な目で見られる時代だった。もっとも、この頃になるとワープロ感覚でサイトを作れるだけのツールやネットインフラは整いつつあったのだが・・・

無論、Facebookやtwitterもないし、LINEなんてものもない。そもそもスマートフォンなんて想像の埒外で、携帯電話は、ようやく、「カラー」「TFT液晶」「写メール」なんてものが主流になりだしつつあった時代である。そういえば、「着メロ」なんてのもまだまだ貧相な和音であったことを思い出す。

***

10年前ー2003年とは、どんな時代であったか。日本は、ちょうど小泉政権の為政下である。中国では新型肺炎SARSが大流行し、かの「イラク戦争」の起こった年でもあった。

以下、出来事を列挙してみたいと思う。

江戸幕府開府400年のイベント華やぐ中、「鉄腕アトム」が誕生したのが2003年4月7日である。JR高田馬場駅の発車メロディが、アニメ「鉄腕アトム」の曲に切り替わったのは、この年の3月である。当時早稲田の学生であった私は、この駅に降り立つと妙な気持にさせられたものである。「これが、アトムの生きた未来か・・」と。まだ、山手線に旧型車(今の埼京線と同じ車両)が現役で走っていた時代のことだ。

貴乃花、引退(1月)。つづいて武蔵丸も引退(11月)。若貴ブームからはじまった「平成前期の相撲ブーム」も、一つの転換点を迎えていたころだ。

そんな折、我が国の経済は、大きな「どん底」を経験しようとしていた。

まず、大和銀行とあさひ銀行が合併し、りそな銀行が発足している。そのわずか4か月後には、同グループに2兆円弱の公的資金が注入されている。三井住友銀行とわかしお銀行も合併。地銀の雄である足利銀行が経営破綻したのもこの年だ。

思えば、2003年とは、山一証券の自主廃業から怒涛のごとく進んでいった「金融再生」が、小泉政権、そしておそらくは米国政府の意向も慎重にくみ取りながら、総仕上げに向かって動き出していた時代だったように思う。その象徴として、日本郵政公社が発足。あの「郵政民営化」への先鞭もつけられた。

そんな中、日経平均株価は7607円88銭という、82年来の大幅安値をつける。捉えようによっては、もはや「バブル前」にまで経済水準が落ち込んだことが示唆されるのであった。

これはもはやバブルの後遺症というよりも、「日本型戦後経済システムの終焉」を意味していた。

そんな、経済の冷え切った時代である。もはや、旧来の常識は通用しない。それを象徴的に表しているのが、「阪神とダイエーの日本シリーズ」である。

1996年の『ドカベン プロ野球編』。作者の水島新司が「夢」という設定で、こんなシーンを描いている。
>「は は 阪神対ダイエーの日本シリーズじゃとーー 嘘じゃろーーー」

その、漫画にされるほどの嘘が現実になったのが、2003年という年であった。王政権の下で実力をつけていたダイエーはともかく、阪神に至っては、18年ぶりのセ・リーグ優勝である。「今年の漢字」が「虎」になったのもむべなるかな。

そんな、「激動の時代」というにふさわしい2003年。政治の世界にも地殻変動が起こっていた。

自由党と民主党が合併し、「民主党」発足。のちの政権交代劇の端緒である。

流行語に「毒まんじゅう」(野中広務)と「マニフェスト」の2つが選ばれたのも象徴的だ。まさに、「なんでだろう」(テツandトモ)なことがたくさん起こっていた時代なのである(テツandトモも03年の流行語大賞受賞者)。

かつての自社のなれ合い政治の下では考えられなかった「有事法制」の整備や住基ネットの稼働なども、政治の世界が確実に変化してきていると、私の眼には映ったものだ。

ところで当時、PCのメモリは1GBも積んでいれば、スーパーハイスペックと言えた。ハードディスクもせいぜい300GBが最高値で、「テラバイト?何それ?」という時代。そんな頃、アトムの時代らしく、科学の世界にも変化がみられたことをはっきりと記憶している。

最大のトピックスは、「ヒトゲノム」の解読完了であろう。人類はどこまでその活動領域を広げ得るのか。倫理面も含め、素人考えでありながらも、なかなか悩ましく思った記憶がある。

日本は、かの「はやぶさ」の打ち上げに成功。のちに、「小惑星イトカワから物質を持ち帰る」という偉業を成すことになる。

東京では、「六本木ヒルズ」がオープン。東京タワーに肉薄するパノラマビューは、新しい東京のスポットとして好評を博す。この「ヒルズ」が、良くも悪くも我が国の「ITバブル」を引っ張るのはもう少し先の話。

ITと言えば、この頃、音楽流通の大革命が起こった。iTunes Music Storeのオープンである。「ネットで音楽を買える」ことが、CDやDVD、将来のブルーレイといった「円盤メディア」を一気に「レガシーメディア」に変え、人々に「物よりデータ」を強く印象付けることになるまで、数年を要しなかった。

音楽の話が出たついでに、この頃流行した音楽をさらってみよう。

・NHK「プロジェクトX」の主題歌、中島みゆき『地上の星』がロングセラーに
・SMAP『世界に一つだけの花』ダブルミリオン達成
・ORANGERANGE『上海ハニー』が若者中心にヒット
・『さくらんぼ』で世を成すことになる大塚愛、デビュー

あたりがトピックスだろうか。まさに、「歌は世に連れ、世は歌に連れ」である。AKBジャニーズでCD売り上げが独占されている10年後とは、隔世の感である。

とんがりお鼻の新幹線100系が引退。地デジ放送が三大都市圏で開始。トヨタ「クラウン」とホンダ「オデッセイ」のモデルチェンジがあったのもこの年だ。ダイハツ「タント」も発売開始。沖縄では、戦後初の鉄道となる「沖縄都市モノレール(ゆいレール)」が開業している。

鉄道ネタでいえば、営団地下鉄(現・東京地下鉄)の半蔵門線が全線開業したのもこの年だ。併せて、半蔵門線経由で東急田園都市線と東武伊勢崎線(現・東武スカイツリーライン)が相互直通運転を開始。

当時は、「東急(ハイソタウン)と埼玉(イモタウン)が1本でつながるなんて」と揶揄されたこともあったとか、なかったとか。

ちょうど大学で都市計画を学んでいたこともあって、「都市のイメージ」というのに敏感だった私は、「東急の電車広告はファッション・マンション・デパート。東武の電車広告はサラ金・パチンコ・債務整理。客層が違うが大丈夫か?」なんて、まことしやかに書かれた雑誌の記事なんかを、結構読んだ気がする。事実関係はともかくも。「ひどいこと書くもんだなぁ」と思いつつ、「なるほどな」と思ってしまうところも意地が悪い。

・・気になって当時の文献をあさってみると、原武史さんの『鉄道ひとつばなし』(講談社現代新書)にも同旨のことが書かれていた。このあたりの機微が気になる方はご一読されたい。その時代の空気感を表しているので。

そうそう、埼玉と言えば、さいたま市が合併を繰り返し、千葉市に続いて政令指定都市になったのも2003年である。「そんなにまでして千葉と対抗したいのか」と、私は今でも思っている。

サブカルチャーに目を向けると、当時のゲーム機はソニーの「PS2」と任天堂の「ゲームボーイアドバンス」の時代。一世を風靡する「ニンテンドーDS」や「Wii」は、まだこの世に出ていない。

トピックスは「スクウェア・エニックス」の発足だろう。「ドラクエ」と「FF」が同じ会社から出ることになるとは、当時のゲームファンたちは夢にも思わなかったことだ。

それだけ、「ビデオゲーム」の開発に体力(資金力)が必要であるということを示唆していたかのようだ。事実、この頃のゲーム市場は「大作主義」が祟り、新規層を取り込めず、市場が縮小するじり貧状態にあった。任天堂が「DS・Wii旋風」を巻き起こすまで、ライト層からは見向きもされないマニアックな市場に陥りつつあった。後世の歴史家からは、「ビデオゲーム暗黒の時代」とおそらく記銘されよう。

まだ、今よりはテレビも元気であった。ドラマは木村拓哉のTBS系列『GOOD LUCK!!』が高視聴率をはじき出しており、お笑いブームの一端を担った日本テレビ系列『エンタの神様』もこの年。バラエティでいえば、フジテレビ系列『トリビアの泉』が好評を博していた。・・その後、フジテレビが週間視聴率「4位」に凋落(2012年1月末)するとは、誰も想像し得なかったが・・・

年末には、世相を反映して、週刊少年ジャンプで『デスノート』の連載が開始。のち、ブームを巻き起こすことになる。このことはまだ、誰も知らない。

***

とまあ、概観するとこのような時代。
次の10年後、どのような時代になっているのか?そして今がどのように評されるのか?

今から楽しみである。


公開:2013年6月23日

●「ぶりっ子が嫌い系女子」

ぶりっ子が嫌い系女子の言い分は、「ぶりっ子を見ていると、絶対(キャラを)作ってるだろ、と思っちゃう。でも、男子はそんな女に騙される。馬鹿みたい」って。

でも、男子は基本的にバカだが、それでも別に十把一絡げにぶりっ子が好きなわけではないぞ。

「ぶりっ子していると知っていて分かっているけどやめられない」系男子がぶりっ子に靡くのであって、別にすべての男子が「ぶりっ子が好き」というわけではない、というか。

このあたりの機微、分かっていただけると世の中はもう少しスムーズに動くんだと思う。

で、結構「ぶりっ子が嫌い系女子のツンデレなところが好き系男子」、というのもいるわけで。だから、「ぶりっ子が嫌い系女子」はそのあたりをもっとアピールするといいですよ。っていうか、その一人が私です。だいたい、これまでに好いた女性はこの属性なのだ。

もっとも、それは私がMっ子だからだろうか。

しかし半面、「ぶりっ子していると知っていて分かっているけどやめられない」系男子でも、私はあるわけですが。やめたいけど、やめられない、っていう中毒的心理はあるんですね。不思議なものですね。

「押すな」ってボタンは、男子にとっては永遠の「押せ」なんですよ。

●「ウォーターサーバー商法」

「2等が当たりました!おめでとうございます!」ってやつ。ホームセンターやスーパー銭湯などでくじ引きをして、「1等 テレビ 2等 ウォーターサーバー 3等 ティッシュ、駄菓子」みたいな感じでやってるやつ。

1等当たらないの。2等しか当たらないの。しかもその2等、当たったっていっても仕込みなの。カモっぽい人に2等の券を開けさせるの。

2等って微妙に嬉しいの。だからその高揚感で、「ウォーターサーバー設置無料」って言葉に惹かれるの。

でも、設置は無料でも、水は有料なの。しかも一定量が毎月届くの。だいたいが1年縛りとかで、途中解約するとお金取られるの。

だったら初めから、「ウォーターサーバーは水の会費商売です」って言えばいいと思うの。「富士山の水を1年間、毎月2000円でお届けします」って新聞広告したほうがむしろ申込が多いような気がするの。

同じことだもん。

もし引っかかったら(←水を飲みたくない人向けの表現。毎月飲みたい人はご自由に)、クーリングオフするといいの。

クーリングオフは自分でできるの。簡易書き留めで送ればいいの。
書き方はググればあるわよ。

・・なんでこんなに詳しいかって?
引っかかりそうになったからじゃないの!

「自分は絶対に引っかからない」ってアナタ、一番危ないわよ!

●「勉強だけできてもねぇ・・症候群」へのかなり口汚い反駁

よく、「勉強だけできてもね・・」って言うじゃないですか。これ、その通りなんですよ。

さらに、「答えの決まっている勉強ができても、それ以外のことができなかったら・・」って言いますよね。これも、その通りなんですよ。

反対に、「勉強はできないけれど・・」とか、「答えの決まっている勉強はできなくても、それ以外のことが素晴らしい」っていう人もいますよね。これも、その通りなんです。

例外はどんな世界にもありますから。

ある難関資格を持っている奴を知っていますが、ソイツの人間性は蛆虫のクソ以下ですしね。初対面の人間に「あんた」呼ばわりを平気でするので、頭が一回りして狂ってるとしか思えない、とか。

まあ、その逆もあるでしょうね。
こういうのは例外ですけれど。

繰り返します。「勉強はできるけれどねぇ・・」という要素は確かにあるんです。

ただ、「答えの決まっている勉強"すら"できない」ことを擁護する必要性も私は感じないんですね。

大人は、むしろ「答えの決まっている勉強"くらい"できろ!」と子どもを叱咤するべきなのではないか、と最近すごく思うのです。

「♪ナンバーワンになるつもりがないなら、オンリーワンの才能もない癖に もともと無個性のお前らがオンリーワンなんて ププ」っていう歌、流行しないかな?

***

今の大人、敢えて言わないんです。「勉強しろ」って。

「勉強することが実はとても大切なことなんだ」って教える家庭とその子どもたちが、将来の利益を独占し、圧倒的大多数の愚民から搾取する経済構造を維持するためにも、敢えて今は言わないんです。

もはや「勉強しろ」っていうのは一部の層にとっては死語かもしれません。格差は固定され、格差内での身分維持のために過当競争が完全に「悪」になっています。おまけにパイのおいしい部分は縮む一方ですからね。「勉強しろ」が大人の文句でなくなった今日この頃。

ああ・・でもこれも嘘がありますね。きれいにまとめすぎた感。

本当はね、もうぶっちゃけると、環境の違いなんです。「勉強しろ」って言わないと子どもが勉強しない環境になってしまっている時点でもう、厳しいんです。これ、誰も言いませんがね。

本当に勉強ができる人って、自分からやるんですよ。

試しに、周りの「勉強好きだな」って思う人に聞いてみてください。親から「勉強しろ」って言われ続けて育った人、存外に少ないはずですから。

勉強しろって言われたってしないですよ普通。だって、学びという行為は、本質的に自発的なものなのですから。自発性なくして学びなし。強制の学びに意味はないんです。そんなの洗脳と一緒ですから。

「勉強しろ」って言われずに子どもが勝手に勉強する家庭環境を作れる層が、結局は支配層になっていくんです。これに気づくか気づかないか。

もうはっきり言います。「勉強しろ」っていう前に、自分がやれよ、姿見せろよ、って話なんです。実は。

どんな塾もここまで言いませんよ。本当のことを言ったら嫌われるもの。でも、そういうことなんです。「学びは環境」なんですよ。どんなに子どもの尻叩いても、「テメエが率先垂範しなかったら無駄だよ」って。絶対に誰も本当のことは言ってくれませんけどね。

あー、だから、任せっぱなしは最悪。次に、干渉しすぎるのも逆効果なんです。「学びは自発的行為である」のですから、「どうやったら自分から学ぶようになるか」を追求するのが大人の役目。自発的行為に結びつかない学びは身に付きません。

よしんば最初は強制だったとしても、いつか「学びが好き」になっていなければ、本当に身につかない、これは間違いないんですね。感覚的には、「つ」のとれるくらい、要するに「9つ」→「10さい」くらいで勉強が嫌いになっていると、なかなか厳しいでしょうね。例外はありますが。

さて先ほど、諸々「環境で決まる」と書きました。もっと具体的に言いましょう。読書好きの子は、家にたくさんの本があるんです。親が日常で本を読んでいるんです。これがすべてです。

本を読まない親が、「本を読め」って子どもに言ってもそりゃ読みませんよ。勉強と読書、「自発性」という意味できわめて親和性があります。率先垂範して読書をしましょう。そして、「読書させる」のではなく、「読書をしたくなる」ように仕向けましょう。これが、将来のリーダー育成の第一歩です。

もちろん「鳶が鷹を産む」の例外もありますよ。
何事も例外はあります。

***

本筋でいえば、「勝て。勝てば官軍じゃ。建前では『平和』と言っておけばいい。本音ではとにかく勝つのじゃ。」くらい言う教育もあっていいんですけどね。なかなか、ないなぁ・・・。


公開:2013年5月24日
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