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最近の新入社員に聞くのが、「家にテレビってあるんですか?」(敬語)だ。
だいたい、「ありません」という答えのほうが多くなって久しい。昔は「テレビは置いてないんです(ドヤッ)」というのが、一種の「ステータス自慢」みたいな感じで妙に鼻についたものだが、今はそういう「自分だけ特別」感はない。

逆に「テレビは置いています」という人は、根っからのテレビ好きだったりする。単に趣味なのである。

すなわち、「置きたいから置く。置きたくないから置かない」ということだ。別に「NHKの受信料が負担で・・」とかそういうことでもなく、純粋に「置くか置かないかは趣味の問題」ということなのだ。クルマとか酒もそう。「〇〇離れ」の正体は、純粋に「趣味化」なのだ。主義主張でも、また多くは、深刻な「経済問題」でもない。単に、「好きでもないことにカネはつぎ込みたくない」だけなのだ(・・そういう意味では経済問題もあるが・・・)。おそらく、今の若者の所得が明日2倍になったとしても、テレビ、クルマ、酒、スキーなどにいきなりお金をつぎ込む―とはとても思えない。おそらく、黙って貯金に回すのが関の山だろう。老後が不安だからね。

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隔世の感がある。子どものころは、テレビの番組1つで曜日を指折り心待ちにしていた時代が確かにあった。

月曜日は『志村けんのだいじょうぶだぁ』
火曜日は『サザエさん』の再放送と、『ドリフ大爆笑』
水曜日は『ドラゴンボール』
木曜日は『チンプイ』
金曜日は『ライブマン』からの『ドラえもん』
土曜日は『まんが日本昔ばなし』『おぼっちゃまくん』『クイズダービー』『8時だヨ!全員集合』/『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』
日曜日は『ウィンスペクター』『仮面ライダーRX』/『仮面ライダーブラック』『ちびまる子ちゃん』『サザエさん』『世界名作劇場』

例えば上記の如くである。3―40年近く前でもはっきりと曜日を覚えているのだから、その影響力たるやとんでもないものがある。紛れもなくテレビっ子だった。

そして、もっと強烈にテレビと歩んできたのが、団塊の世代から少し下の世代くらいまでだろう。その証拠に、今やおじいちゃんとなった彼ら/彼女らの家では、ほぼ例外なく、大音響でずーっとテレビがついているのだ。もう「習慣」としかいいようがない。

しかし、今の若人に「視聴習慣」なるものはない。

今は例えば『おジャ魔女どれみ』だろうが、『プリキュア』だろうが、アマプラなりネトフリなりで過去のものであろうと何だろうと好きな時に好きなだけ見られるので、「あー、来週のドラえもん楽しみだなぁ」とはなかなかならない。別に見たいときに観ればよいのだから。

そしてそもそも、「倍速」で見る時代だ。放映される時間まで律儀に待って、その時間しか楽しめないなんてまどろっこしいったらない。

今の子どもが上記のようなスケジュールでテレビを楽しむとはとても思わないので、これからもどんどん「テレビ離れ」が進むだろう。これはもう抗いがたい時代の波としか言いようがない。

そしてそもそも、子どもが毎年80万人も生まれなくなっているので、マーケットとしてもおいしくない。かくて、「子供向け番組」はどんどんシュリンクし、ますます「将来のお客様」を奪っていく。

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ファミリー層がターゲットのある企業が、テレビCMを見直してプロモーションを刷新した。結果は「売上減」。当然、「メッセージが伝わっていない」と大騒ぎになる。

でも、そりゃそうでしょう。そもそもファミリー層はもはやテレビを見ていないんだから。まず子どもがテレビを見ていない(Youtubeかサブスク、録画が中心)。大人も(多くは共働きで余裕がないので)テレビをのんびり眺める理由がない。

かといって「代替手段」たるWebのターゲティング広告も、トラッキングオフでターゲティングを外し、広告ブロックをかけてしまえばそれで終わり。メールもほとんどは「捨てアド」で登録して目につかないようにすればOK。見ないんだな、これが。

新聞広告も(誰もファミリー層は新聞を読んじゃいないので)激減・・となると、結局もっとも効率がよいのは「ポスティング」なのではないか―と。これまた、要塞化したマンションも増えているのでリーチするのはなかなか難しそうだが・・・・

・・・少し話がそれてしまった。テレビである。

そういえば我が家はどうだろう、と思って1日の家族のテレビ「画面」の視聴状況を振り返ってみた。

■妻
・NHKのBSのテニスの試合の録画(朝夕15分ずつ)

■娘
・NHKのニュース(朝起きてすぐの10分くらい×3日程度)
・アマプラでアニメ(1日60分)
・「ドラえもん」や「プリキュア」などの録画(週に計60分)

■私
・ブラタモリの録画(週に45分)

■家族で
・「ふたりはプリキュア」(週末に50分)

うむ。「テレビ」自体には接している。しかし、「テレビ」という機械には接していても、そもそも「テレビ放送」にほとんど触れていないことがわかる。

なので、スーパー銭湯などで久しぶりに民放を見て、CMを見ると懐かしい気持ちになる。タレントが分からない(ユーチューバーのほうが分かる)、親しみがわかない、だからますます見なくなる―という悪循環。

いかに「時間を割かせるか」の勝負は、手元で簡単にさわれるスマホに軍配が上がる。もはや、「リモコンを押す」という手間さえ億劫に思うようになってきた。「どんな番組をやっているのか」をザッピングするのさえ、実にしんどい。―と、かつての「テレビっ子」であった私ですら思うほどに、構造的な問題は深刻だ。

一日の長があるように思われてきた「コンテンツ制作力」ですらサブスク業者にお株を奪われつつある。また、「機動力」だってSNSに押されっぱなしだ。

一方で、「テレビの強烈なファン」というのも存在する。「マス」メディアの宿命として、「マス」へのアプローチは不可欠なところだが、でもしかし、コアなファンへ向けてニッチに収益を最大化することも、もしかするととても重要なことなのかもしれない。あ、書きながら思ったがそういう番組見たいかも。テレ東やEテレあたりがその方角に長けている気もするが、もっともっとぶっ飛んだテレビ、見てみたいなぁ。

Youtubeが完全に市民権を得て、ポリコレの波によって炎上しやすく多方面に配慮が必要な「テレビ化」をしていく(平たく言えば「つまらなくなっていく」)のであれば、テレビが「Youtube化」してニッチな方向で尖っていくのも面白いかもしれない!

もちろん、そこに行き過ぎるとそれこそ「飽きられたら終わり」の袋小路にハマってしまうわけだけれども・・・。


2022年11月29日

昔、娘の幼稚園で「学芸会」の主役を決めるときに、オーディション形式を導入していると聞いて驚いた。

立候補した数名を前に立たせ、いくつか台詞を言わせて、それをクラスメイトたちが挙手制によって投票するのだという。

「もっともよかった人」「次によかった人」に1票ずつ、そして「もっとも悪かった人」に1票を投じる(当然、票からはマイナスされる)仕組みとのことで、多数決の弱点である「反対意見をくみ取ることが困難」を見事に解消している。

ゆとり時代に騒がれた「手をつないでゴール」からずいぶんと時代は変わり、「勝ち抜き」という市場原理が幼稚園の学芸会にも導入されたわけである。私なんかは、変に子どもに主導権など与えず、先生が勝手に決めればいいのにと思うわけだが・・・(「どうしたら主役に選ばれるか」を考えることは、「どうしたら上司に高評価をもらえるか」の相似形であるからいつか仕事の役に立つのである)。

ちなみに我が子は最初から「町の人役」をやることを強く熱望したそうで、ちゃっかり第一希望を射止めていた。変に色気を出して、オーディションで落ちたらショックも増えるばかりだ。このリスク回避術、どこで覚えたのだろうか。この先ストレスなく生きていくには、「目だちすぎない」ことも一種の処世術である。


2022年11月22日

ワイヤレス掃除機が壊れてしまったので、実物を実際に動かしながら試してみようと思って家電量販店へ行く。

当然、国産メーカーのものに買い替えるのだろうな、と思ったらさにあらず。実際は、アメリカで掃除機のトップブランドだという、Shark製の掃除機を購入することになった。

「そうそう、こういうのでいいんだよ」という機能性や、操作性、シンプルさなどに惹かれたのが購入の理由だが、同時に、本当に「失われた30年」で「家電」の分野でさえ、日本が立ち行かなくなりつつあることを実感した。

すでに、デジタルガジェットの分野では日本メーカーのものがもう、ほとんどない。
自分の家にあるデジタル機器を眺めてみても、プライベートのPCはLenovoとMicrosoft(Surface)であるし、携帯もPixel(Google)とiPhone(Apple)である。タブレットもiPad(Apple)が2台とFire Tab(Amazon)、オンデマンド配信デバイスはFire Stick(Amazon)。見事に、GAFAM製品でほぼ独占している。DVDプレーヤーはASPILITY(エスキュービズム)で唯一、日本メーカー。あ、、もう年賀状も部数を絞ってオンデマンド印刷に切り替えたのでほとんど使っていないが、プリンタはキヤノンであった。

そういう意味では、ゲーム機として任天堂の3DS、Switch、Switch riteが世界規模でトップを張っているというのはすごいことだな、と思った。

一方、白物家電や生活家電に目を向けてみると、まだまだ日本メーカー製が多い。
テレビはPanasonic、冷蔵庫はSHARP(日本メーカー時代)、炊飯器は東芝、食洗機はPanasonic、洗濯機・乾燥機は日立、エアコンは三菱、といった具合である。

ちなみに、電子レンジはツインバード、オーブンレンジは山善、布団掃除機はアイリスオーヤマ、布団乾燥機は象印、ドライヤーはPanasonicーと、すべて日本メーカーであった。

・・・と、考えた時に、やはり我が家における国産メーカーの牙城が、まず「掃除機」から崩れたというのは、なかなか衝撃的な出来事だったのである。

なお、余談だが「敢えて電化生活から手動に戻った」ものもある。1つが電動歯ブラシ。いわゆる「ジレットモデル」で、むしろ歯ブラシを買い替えたほうが圧倒的に安いと気づいてしまったことが原因。もう1つが電動髭剃り。これも、使い捨ての髭剃りを丁寧にメンテナンスすれば、1本で何か月も使い回せることに気づいてしまったので使わなくなってしまった。そしてロボット掃除機。当初はとても便利で重宝していたのだが、毎回「床を片付ける」必要があるのが面倒くさすぎて結局使わなくなってしまった。今後、こういう「手動に回帰する」ものも増えてくるような予感がする。

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ここで、厚生労働省『労働経済白書』『人口動態統計』、総務省『統計局人口推計』、財務省『国民負担率』、内閣府『国民経済計算』を参考資料として、2000年から20年間の日本の経済の弱り具合を確認しておきたい。

このグラフは、20年間の「現金給与総額(月額)」と、国民総所得に対する税金・社会保障への負担を示す「国民負担率」の推移を示したグラフである。

実質GDPは20年で8.2%の成長を見せているにも関わらず、給与はこの20年で1割以上も下落した(89.86%になった)。一方で、国民負担率は12.3ポイントも上昇している。

20年でわずか8%という超低率の経済成長の果実は「給与減」「国民負担率増」でスポイルされているため、景気回復の実感などないのが当たり前で、むしろ生活は格段に苦しくなっているとみるのが当然といえる数字である。

ちなみにこの間、人口は0.6%(ピークの2008年比では14年で-1.5%減)の減少に転じた一方、労働力人口は102.5%とむしろ微増。一方で出生数は、119万人から84万人へと20年で35万人も減少。これは率にして何と「約3割減」というとてつもない数字になっている。直近のニュースでは、22年上期の出生数がついに40万人を割った(前年よりも5%ショート)というから、いよいよ「出生数80万人割れ」も現実味を帯びてきた。わずか6年ほど前に「出生数100万人割れ」が騒がれたばかりなので、とてつもない勢いで少子化が進行していることが裏付けられている。

完全にシュリンクした経済下、これで国の活力が失われないほうが不思議である。
上記で挙げた家電が、米中韓欧台のメーカー名に根こそぎ変わる日が・・・そう遠くないのではないかという危惧が、もう笑えない現実となっているように思う。


2022年9月3日

「意識高い系」を標榜するつもりはないけれども、それでも生活習慣を変えると人生が変わる、というお話。

1日の予定をグラフにしたものをよく見かける。これを自分で実際に作るとなると、小学生の「夏休みのしおり」よろしく手書きならばともかく、Excelでそれなりにがちゃがちゃいじらないと作れないので結構面倒なのだ。

そこで救世主となるのが、「24時間サークルメーカー」。非常に使い勝手がよいので、是非とも紹介したい。

さて、これで作成したのが適応障害でぶっ倒れる直前の私の24時間の使い方(ちなみに「通勤時間」がないのはテレワーク中心になっているから)。

いやぁ・・・これは酷い。朝から晩まで働き詰めで、まさにワーカーホリック。考える時間もなければ、運動の時間もない。これじゃあ、心を病むのは当たり前である。今振り返ればそうやって冷静に思えるのだが、当時は「休めるわけ、ないだろう」と本気で思っていた。危険だった。

そして、今。復職して元気に生活しているわけだけれども、まったくグラフの形が違っていて驚いた。

睡眠、運動、食事、読書、団欒に趣味、そして仕事。まさにワークライフバランスの整った生活だ。頭の中の靄のようなものが雲散霧消し、心身ともに快活そのもの。

仕事の時間を決めてメリハリをつけて生活をすることで、生活全般に「張り」が出てきたのである。

今思えば、なぜ寿命を縮めるような生活をしていたのか本当に謎としか言いようがない。生活改革は、人生を確実に変えてくれるのだ。


2022年8月27日

メタ思考、アナロジー思考、抽象化思考。一般的に「賢い」とか「頭がいい」とされていいる人の思考方法は、要するに具体と抽象の世界を行き来して、物事を俯瞰的かつ大局的に捉えるというところにあります。

この思考法の優れているところは、全体像を捉えられるので部分最適ではなく全体最適で考えやすい、課題を個別の打ち手ではなく全体の枠組みの設計から捉えられるので根本解決がしやすい、常に解決思考・未来志向なので物事を推進しやすい、など枚挙に暇がありません。

いわゆる「プログラミング思考」というのも、広い意味でこの抽象化思考と言えるでしょう。プログラムそのものが、物事の解決方法の数値化・言語化・抽象化そのものだからです。

このような思考法を子どものうちから鍛えるにはどうしたらよいか。私がお勧めするのは、何と言っても「ことわざ」です。

ことわざは、世の中の様々な出来事に対する教訓や戒め、留意点を、まさにアナロジーによってメタ認知に次元を上げてくれる人類の英知です。

小さいうちからこどわざに親しむことによって、間違いなく、その子のメタ認知能力は鍛えられるのです。

お勧めは、くもん出版の『ことわざカード』を与えてみて、ことわざそのものに興味を持たせることからはじめることです。我が子が3歳のときに(蚊に刺されてけがをしていた)、公園の遊具で頭をぶつけたときに、「これが泣きっ面に蜂だね」と叫んだときは、「ことわざって凄い」と本気で思いましたからね。

そのうちひらがな(できればカタカナも)が読めるようになったら、小学館の『ドラえもん 国語おもしろ攻略 ことわざ辞典』を与えてみましょう。1ページに1つ、ドラえもんの四コマ漫画でことわざを紹介する形式になっており、楽しみながら自然とことわざを覚えることができる優れものです。

現在は改訂新版になっていますが、初版は1991年ですから、優に30年以上のロングセラーです。どれだけ読み継がれてきているか、これでわかるでしょう。(1分200字くらいのペースで)一人読みができれば、4、5歳くらいからでも十分に楽しめるはずです。

ドラえもんの学習漫画シリーズは非常に内容がしっかりしているので(しかもちゃんと面白い)、一人読みができなくても、まずは「読み聞かせ」をしてあげてもよいかもしれません。最近のお勧めは、『ドラえもん はじめての数え方』です。こちらの初版は2018年と最近ですね。


2022年8月20日公開
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