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2010/08/14公開の記事。

「定時後、ビールを飲みながら仕事」「直帰すればいいのに深夜に会社に戻って残業してランナーズハイみたいになって独り悦に入る」「定時後までずっと無意味な会議をして深夜までグダグダ仕事」みたいな輩がいるせいで、「残業せざるをえない」ほど仕事を抱えた人まで割を食った、わが社における「裁量労働制」の導入。

私もしっかり残業代が出ない身になり(職務手当と残業代がほぼトントンだからまだ許せるが)、職場で定時すぎに仕事するのも何だかすごく馬鹿らしくて、結果的に風呂敷残業が増える始末。(総労働時間はたぶんあまり変わっていないのだが)。

とにかく、一部の不届き者のせいで、普段から「残業を減らそう、減らそう」と努力してきた者まで割を食ってしまっているのだ。その怒りから、今回は「ダラダラ残業撲滅同盟」の専務理事に勝手になって、「ダラダラ残業撲滅のための行動案」を考えてみた。

***

●「残業は罪悪」と自分に言い聞かせることから
こういうのはいくら人から言われてもダメなので、自分に言い聞かせるのが一番。言っているうちにインプリンティング効果が働き、定時を過ぎると妙に機嫌が悪くなるようになる。すると自動的に早く帰りたくなるようなインセンティブが働く。人は、「何とかしなければならない」という状況に陥ると、結構、勝手に考えるものなのだ。「護送船団」が一番ダメ。 自分を追い込むのだ。

●朝、早く出社する
早朝出社はまさに「三文の得」だ。

始業の1時間前は、電話も掛ってこないし、うるさい奴もいないから、好き勝手に仕事ができておススメの時間だ。お茶でもゆっくり飲みながら、資料整理やメールチェック、TODOリスト作成、勤怠管理、経費精算などがこなせる。1時間くらい色々と頭を働かせておくと、始業後、仕事の「ノリ」が違う。

電車も1時間違うと比較的空いているから読書もできるし、この「早朝出社」はなかなかハマる。早朝出社は早起きしなければならないので、「前日に早く寝る」という素敵過ぎる習慣も自然と身につきやすい。

なお、「朝の自主的な出社を『残業』で報告して上司に怒られて逆ギレ」した阿保を私は知っているが、そういう人は「仕事」の意味を分かっていないと思う。

●朝礼、会議は議題と「完成時間」を決めて
ダラダラ朝礼、ダラダラ会議、ダラダラミーティングは非生産的であり、忙しい「現代社会の敵」としか言いようがない。すべての会議は、議題と時間を事前に明確に決めておき、時間がきたら容赦なく打ち切るのが正解だ。それから、たまに聞くが「会議を定時以降に設定」するのは万死に値する罪だと私は思う。社則で禁ずるべき事項だろう。

●メールチェックなどの「チェックのルーチン」は少なめに
メールチェックは「1日○回△時に行う」、と決める。メールのポップアップが届くたびに見ているようでは、時間ばかりかかってやがて残業のシグナルが灯ることになる。同様に資料の回覧や、決済の判子押し、その他ルーチンで見る必要があるものは、緊急性の高いもの以外は、「決められた時間にこなす」ようにしたい。

なお、メールであれ回覧であれ、判子であれ、本当に重要なものは向こうから電話なり直接なりで「早くしてくれ」とせっついてくるものだ。それだけを優先的にこなすのも手だろう。

●セントラル空調のオフィスであれば、エアコンを止めてしまうのも有効
セントラル空調制のオフィスであれば、管理センターに頼んで、指定した時間になったらエアコンを止めてもらうのがもっとも効果的だ。定時を過ぎるとオフィスが蒸し風呂みたいに暑くなると(あるいは氷室みたいに寒くなると)、その前に帰りたくなるのが人情。 残念ながら春と秋はそんなに変わらないのだけど。

この制度、「残業防止のため」というと社内で通りにくいだろうが、今流行の「エコのため」「コスト抑制のため」というと、不思議と反対する人は出なくなる。

●勤務時間中は禁煙にする
分煙が進み、「1つのビルに喫煙室が1つ」みたいなところも増えているから、喫煙は相当に「腰の重い」作業になりつつある。しかも1単位当たりの時間がきわめて長いから、1日に何本もタバコを吸うヘビー・スモーカーにとってみたら、喫煙は非効率極まりない行為になってしまった。

もっとも喫煙者からは「喫煙室でこそアイデアがひらめくんだよ!」「喫煙コーナーは一種の情報交換の場だ!そんなところまで邪魔するな!!」と怒られそうだが、喫煙時間というのは、非喫煙者も含めた職場トータルでしてみたら、やっぱりきわめて不経済な時間になるのだ。なぜなら、職場の活動量(「勤務時間×労働者数×各人のパフォーマンス」で計算すると仮定する)が、喫煙者の休憩時間分、そっくりそのまま削がれているんだから。

分かりやすい例で書くと、仕事で電話を受けて、「あれ・・○○さんは? (探す)・・・あ、また休憩か。・・・すいません、今席をはずしておりまして・・」などと毎回毎回、「受けメモ」を書かねばならぬのは非喫煙者なのだ。「いるはずの人が、いない」・・・これは意外と大きな仕事上のロスだ。こんなことを1日に数回でもやられてみろ。「テメーのアイデアなんか知らねぇよ」「貴様の人脈なんてどうでもいいよ」という気分になってくるぞ。相手の時間を使っていることに対する、想像力がすごくほしいところだ。

(非喫煙者ながら非嫌煙論者で喫煙者擁護の念すら抱いている私でさえ、こういう気持ちにさせているのだから、いわんや嫌煙論者においてをや)

●毎朝「やることリスト」をつくる
早朝出社をしたら、ぜひこれをしたい。人によって方法はそれぞれだろうが、私が実践している方法は、シンプルに思いついた順に「やること」を書き出して、それを潰していく、というやり方だ。できれば「やる順」にリストアップして、それぞれの「完成時間」を想定しておく。

(例)

□ ○○さんにメール (5分)
□ 打ち合わせ資料作成(15分)
□ 打ち合わせ(30分)
□ △△さんに電話、資料内容確認(5分)
・・・

ここまで厳密に書くことはなく、実際は物凄い走り書きで充分だ。頭の中で大体の完成時間をシミュレーションしておき、―そしてここがポイントなのだが―、「定時で帰れる」ように予定を組む。

なお、「予定は未定」であり、想定通りに物事が進むことなどほとんどない。
したがって、これらTodoには「今日やらなくても別にいい調整仕事」を必ず紛れこませておく。あるいは、少し余裕を持てる仕事の完成時間を長めにとり、そこで時間調整をできるようにしておくのだ。 実感として、約1時間程度は余裕時間を持つようにしたい。

なお、私が実践してコケた方法は、よく「残業対策本」で提示されている、「重要度」「緊急度」でマトリクスを作る方法だ。これは思考が発散してしまい、全然予定が組み立てられなかった。だが、こういう方が得意な人も当然いるだろう。

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領域Aは「重要度も緊急度も高い仕事」
以下Bは「重要度は高いが緊急度は高くない仕事」
Cが「重要度は低いが、緊急の仕事」
Dは「重要度は低く、緊急でもない仕事」

ということで、わざわざ解説するまでもなく、人間が日常生活で、自然とこのような形で優先順位を決めて生きているはずのものを図式化したものである。

当然ながらA→C→B→Dの順番で終わらせていくべきなのだが(場合によっては早朝にDだけは終わらせ、A→C→Bとやる、という手もある)、こと仕事となると、不思議なものでBに目がいってしまいCがこなせずに結局AもBもCもできなくなった・・とか、Dのために無駄な労力を割かれるとか、そういうことが往々にしてある。

参考までに、各領域のモデルワークを挙げてみよう(会社によって異なるかもしれない)

A: クレーム対応、顧客との対話
B: 折り返しの電話、問い合わせ対応、アポありの来客対応、顧客訪問、プレゼンの資料作成
C: アポなしの来客対応、崩れた書類雪崩の整理、上司の思いつきで頼まれた資料作成
D: 職場内での世間話、ゴミの分別、社内文書のやり取り、企画部署の存続のためだけにあるような無駄な勉強会への出席・無駄なメールの購読

ポイントは「B」である。Bは、「いつでもやれるが重要なのでいつかは必ずやらねばならない」という怖さがある。いかにBをこなすためにAとCをやっつけ、Dへ割く労力を減らせるかが、残業撲滅、ひいては仕事の効率化の鍵になってくる。

こういう分類方法も思いついた。名付けて、「want/can マトリクス」。

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領域Aは「自分でやれるし、やりたい仕事」。
Bは「自分でやれるが、やりたくない仕事」。
Cは「自分でやれないが、やりたい仕事」。
Dが「自分でやれないし、やりたくもない仕事」。

仕事をこうやって分類してみると、Aは放っておいても自分でやってしまうので、意図的に完成時期をずらしてもできるケースが多い。一方で、厄介なのはBだ。「やれるけど、やりたくない」仕事がごまんとあるのが仕事の現実だ。これをいかに「最小時間で、最高のパフォーマンスで」仕上げるかが、仕事のできに関わってくる。私としては、Bを極小化するためには「できる人に振る」ことが最適解だと信じている。「自分でやれる(自分でわかっている)けれども、あえて人に振る」というのは、社会分業と言う観点から見ても、きわめて重要な行為だろう。言いかえると、いかに「Aを多く、Bを少なくするか」が自らの仕事のパフォーマンスに大きく影響してくるのだ。

Cは、できるようになるために自己研鑽を積むしかない。現代っ子は、この「C」への欲望が強すぎて、3年と会社に居られないケースもあると聞く。しかし「A」と「B」に真剣に携わってはじめて得られる「C」への可能性、というケースもなくはない。「Cありき」で考えすぎないことが肝要だと思う。

Dについては、基本的には「できる人に振る」のが最適解だろう。やりたくないしできもしないことに労力を注ぐのであれば、A→C→Bの順にエネルギーを分散させていったほうが、より実りのある職場人生になることと思う。

この応用で、以下のようなマトリクスも考案できる。want/mustマトリックスだ。

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領域Aは「やりたいし、必要性の高い仕事」
Bは「やりたくはないが、必要性は高い仕事」
Cは「やりたいが、必要性は低い仕事」
Dは「やりたくないし、必要性も低い仕事」 ということになる。

Aは「仕事と趣味の一致」とでもいえる幸せな状況であり、これが多ければ多いほど、「仕事が楽しい」と感じられるはずだ。
しかし現実にはBがもっとも仕事のボリュームとしては多いはずである。・・と、いうよりも、「やりたくないことでも、必要性が高い」ことをするからこそ給料がもらえるのであって、わがままを言うべきではないのかもしれないが。

Cは一般には「趣味」という。そしてDはそもそも、やる必要のないことだ。しかし、よーく見てみると、「D」の領域の仕事が混じっていないだろうか?実は、残業をさせている諸悪の根源は、「D」の領域に潜んでいるかもしれない。無意味な顧客サービス、存在意義を失った資料の作成、重複した調査・・・そういうものが、残ってはいないだろうか。


公開開始:2011年6月28日

2010/07/04公開の記事。

高校、大学はとても楽しかったが、小学校・中学校は本当に私にとって最大の「束縛体験」であった。学校が好き、と思ったことは一度もなかった。友だちと遊ぶのは好き、勉強も好きだったが、学校そのものは「敵」であった。行事なんて大嫌いだったし。厳密にいえば先生が「嫌い」だったのかもしれない。

教職の方の名誉のために申し上げると、もちろん、小学校・中学校と尊敬する師は多くおられたし、私の人生に少なからぬ影響をいただいた方もいらっしゃる。そういう先生方には今でも本当に感謝をしている。

しかし、それを取り消して余りある教師というのもいて、彼ら/彼女らの些細な言動・行動が、今の私の人格形成にも少なからず影響しているのである。もちろん、私のこの歪んだ性格は私自身の責任によるものであり、掛るものを転嫁するつもりはさらさらないが、子どもの頃の影響は後を引くものだ。これは「先生」という職にある者に限らず、世の大人がすべて自覚していなければならないことだと思う。その例をいくつか。

○「街角清掃」と「ポイ捨て教師」

私は「反エコ」の闘士といってもいいほど、「エコ」という言葉を憎み、呪詛している人間である。そのルーツをたどると、今から語るエピソードに遡ることができる。

小学校低学年の頃、近所の公園を清掃しよう、というよくあるボランティア活動に、教師引率で参加させられた。

よく使う公園だったので、楽しく掃除をして、意外と多くのごみが拾えたので、達成感もあった。

この日はそのまま現地解散となった。

好奇心旺盛だった私は、「この後、先生たちはどこに帰るんだろう?」と疑問を持ち、教師たちの後をつけていくことにした。

教務主任(男)1名と、女教師2名。仲良く談笑しながら歩いている。途中で男教師がタバコをのみはじめた。

交差点に差し掛かる。信号は赤。
気づかれないようにそっと後ろから覗く。

やがて、信号は青になる。
すると男教師は、おもむろに、右手に持っていたタバコを側溝にポイ・・・

数年生きてきて、これほどがっかりしたことはなかった。
先ほどまで自分たちが拾っていたタバコのごみ・・・それを生み出していたのは、何と我々に散々ごみを拾わせた張本人、教師たる彼自身だったのだ!!

・・・ということで、私がこの時に悟ったのは、「言行不一致でも、偉い人になれる」という事実であった。むしろ、「口でいいことをいっていれば、それで偉くもなれるのだ」ということに気づいた。

―以来、私は教師を一切、信じていない。特に「キレイゴト」を言う奴を。

そういえば小学生のころは、「地球を大切に」とか「平和を守ろう」とか、空虚なスローガンのポスターを何度か描いた。それこそ「入選」をしたこともあるが、これはすべて、「教師を喜ばせるため」の演技であったことをここに告白しておく。

環境ネタでは、「自分のできることから1つずつ。地球を大切に」
戦争ネタでは、「つらい過去の過ちを二度と繰り返しません」
道徳ネタでは、「他人に思いやりの心をもちたいと思います」

こう宣言するだけで教師が喜ぶのだから、学校内での立ち居振る舞いは「ラク」になる。学校という閉鎖空間で、教師に歯向かうことは得策ではない。「笑顔の裏で、睨み顔」が一番なのだ。

ああ・・・すごく厭な子どもだ・・・
しかし、この精神構造は今でも変わっていない。上司の思い付きの提案を笑顔で受け入れながら、心の奥底で「そんなバカなこと、できるわけねーだろ?」と睨んでいる自分がいるのだから・・・

学級崩壊という現象がブームらしいが、これは幼稚の極みだ。「歯向かう」のではなく、「黙って反抗」するべきなのだ。教室の中で暴れてみたって、本当に時間の無駄なんだから。 このままだと、この世代からの「会社崩壊」も近いぞ。

○ヒステリー教師

そういう厭な子どもだったから、教師には相当嫌われていた。基本的に周囲の空気を読んで生きてきたので、「私を嫌っているか、いないか」くらいはすぐにわかる。

・「給食のパンを食べきれないので、家に持って帰ってもいいですか」と聞いたら、いきなり頬を平手打ちしてきたヒステリー教師

・私の小学校は、給食を「班」で食べることになっており、その班に担任が日替わりでまわって一緒に食べる―というつまらないルールがあったのだが、給食を準備しているときに、私が近くにいるとも気づかずに、「今日は○○(私の名前)のところだ。ゲッ」と嫌悪感たっぷりの独り言を漏らしたババァ教師

・声変わりの時期に、自分の機嫌の悪さを憂さ晴らしするためだけに、みんなの前で私の声を「変な声っ」と罵ったクソ教師

・・・とかね。学校では注意深く生きていた私は、とにかく「ミスをしないように」していたので、畢竟、教師は私のミスをあげつらうことはなかなかできなかった。だから、こういう細かいことでしか私をやりこめられなかった、というわけ。明らかに嫌われていたのが判る。

それでいて、自分で言うのも変だが、勉強ができなかったわけではないから、彼ら/彼女らは余計に腹が立ったのだろうね。

本当はもっともっとあるのだが(当時は「親に言いつける」という発想もなかったので表立ってすらいないが)、まあいいや。

○この話の流れで行くと、「免許更新制」の話にいくのかな?

最近、「教員免許更新制」の議論がある。

単純な「賛成」「反対」というのは無意味だ。
「いい先生」というのは免許を更新しようがしなかろうがいい先生なのだし、
「ダメな先生」というのは免許の更新以前にダメなのだから。

だから私は、免許の更新なんて、正直どーでもいいと思っている。
むしろ文部官僚の権限を強めるだけなんじゃねーの、とさえ―穿った見方をしてしまう。

「学校からそのまま先生」という人でもいい人はいい人なのだが、もっと教員の「出自」を豊かにしたらどうか、と思う。

教職課程云々を見直して、社会人経験者(ただし3年未満はキャリアとは言わない)の採用割合を30%位に高めたら、日本の教育現場は劇的に変わると思うけれどな。政策的にそういうことをやってみる、と言う官僚、政治家は出てこないかしら。

もし私が教師だったら、

作文で、
「自分のできることから1つずつ。地球を大切に」
「平和が一番。つらい過去の過ちを二度と繰り返しません」
「他人に思いやりの心をもちたいと思います」

と書いてくる子どもがいたら、

「よくオトナの喜ぶ考えがわかったね。それはえらい。でも、受け売りの意見ではなく、もっと自分の本音を書いてみましょう。」と指導するけれどな。

環境の授業では、「エコエコCM流すのが一番環境に悪いと思う。洞窟に帰れ」
平和の授業では、「平和って言っている人のそばに警官がいるのはおかしい。無防備で演説しろ」
道徳の授業では、「きれいごとを疑う神経を持ちたいと思います」
といえる子どもが出てくる教育をしたいものです。

それこそ学級崩壊か。


公開開始:2011年6月28日

2010/07/19公開の記事。

成田スカイアクセス開業、ということで千葉県民の私は早速、成田空港アクセスの現状を知るため、京成の「アクセス特急」および「新型スカイライナー」に乗車することにした。

行きは新京成線に乗り継ぎ、新鎌ヶ谷から北総線の駅へ。ここから、「アクセス特急」に乗って成田空港へ行くことにした。

途中の新駅、「成田湯川」から撮影した駅前の様子。

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むむぅ・・・予想以上に何もない・・・

地図上ではJR成田線と接続するし、「JRも駅を作ってあげればよかったのに」とも思ったが、
現状ではなかなか難しいのだろう。

「アクセス特急」は、途中の分岐点で「スカイライナー」の通過待ちをするが、それがまた田んぼのど真ん中

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夜中の待ち合わせは、ちょっと怖いかもしれない・・・

■成田空港駅についた

これが、JRの切符売り場・改札前。

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これが、京成の切符売り場・改札前。

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人の数が違う。思わず「がんばれ、JR」と思ったが、運転本数が・・・

京成は1時間に8本くらい運転なのに対し、

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JRは1時間に3本。

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この圧倒的運転本数の差が、「活気の差」に つながっているようで。
しかし、ちょっと本数が多すぎる気がしないでもない。

■スカイライナーに乗ってみた

「日暮里―空港第2ビル 36分」と言うのは相当速い。在来線最高(金沢に行くときに乗る「はくたか」と同じ)160キロ運転の車両に、試しに乗ってみることにした。

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どうでもいいが、大人気だ。マニアっぽい人に怒られないよう、日にちをずらしてみたら、親子連れだらけだった。

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シャープなデザイン。

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シンプルな車内。

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たまに「どこを走っているか」を見せてくれるディスプレイ。

***

とても快適でありました。

敢えて書くと、青砥―日暮里間はかなり減速運転気味。ここでもう少しスピードが出せれば、都心→空港、夢の「20分台」も可能かな? なんて思ってしまいました。

※再掲時に一部表現変更。


公開開始:2011年6月28日

2010/05/21公開の記事。

社内SNS(社内イントラネット専用のmixiみたいなやつ)というのがブームらしく、私の会社も例外ではない。

何でもかんでもオンライン化するのは結構だが、そのことによって、却って「どこに何が書いてあるか」が分からなくなって、現場は大混乱している。

今や、部署ごとの共有サイト、社内のSNS、各社員の日報を全社で共有するサイト、社内の統計情報を集約するサイト、そしてメール、社内報・・・と、様々な情報に囲まれて仕事をする毎日。

当然、現場は忙しいから、これらの情報を全部読んでいる時間はない。時間はないのに、情報だけは怒涛のごとく襲ってくる。

だから肝心の情報は抜け抜けで、部署Aが「伝えたつもり」のことが、部署Bには伝わっていなかったり、部署Cでは曲解されたりしている。1人でもいい加減な奴がいれば、情報は「伝言ゲーム」のごとく、どんどんおかしな方向へ解釈されていくものだ。

以前にも書いたが、情報は「伝える」と「伝わる」ではまったく意味が異なってしまう。圧倒的に「伝わる」のボリュームが大きいにも関わらず、「伝える」ことで終わり、満足、となってしまっているケースが非常に多いのだ。

本社のコストセンターは、基本的に「伝える」ことでその全精力を使い果たし、「伝わる」ことにたいしては全部「現場のせい」にするというきらいがある。

曰く、「それは伝えたはずだ」「そのように解釈した○○が悪い」。

しかし現場サイドから言わせてもらえば、あるときはメールで、またあるときは社内報で、別のときはSNSで・・・と、メチャクチャな情報流通をしているくせに、「伝えたはずだ」はないだろう・・・と、怒りがこみ上げてくる。

すでに社内のあちこちでコミュニケーションの歪みが起きており、「重要なメールを部署の全員が削除して読んでいなかった」というのは日常茶飯事。この時点で問題だと思うが、最近は、ある勉強会に行く必要のない社員が出席する羽目になったという珍事があったかと思えば、顧客と同じタイミングで社員が同じ情報を知った、という笑えない出来事も。

こんなことだったら、部署ごとの共有サイトもなく、社内SNSなんてものも存在せず、メールと電話と社内文書、そして Face to Faceの伝達会議を行っていた時代のほうが、よほどスムーズに仕事が進んでいた、と思うのだ。

情報量に比例して、情報共有がどんどん薄くなっていくこの現実。皮肉としか言いようがない。
データ情報では限界があり、本当は Face to Faceが一番なのは、「人を大切にする」が謳い文句の(おそらく)すべての企業にとって、本当は分かっていることなのに。

何だか、こういう情報化による埋没費用、機会損失は、社内会議の減少等によって浮いた人件費よりも高くつくような気がするのだけれどな。

予想すると、会社の雰囲気が悪くなって、業績が傾いて、社内SNSどころではない、という発想を経営陣が持てたら、また社内の情報共有は「復活」するように思うんだけどな。そうもなっていないところが何とも。

パワーポイントなどを使って、「暗黙知の形式知化」を盛んに図で説明する、現場を知らない社員の説明を聞くが(たぶんこの裏には天下りやバーターで儲けている社員がいるはずだと勘ぐるが)、正直、「頭の中のファンタジーランドだけで遊んでろよ!」と思ってしまうね。

暗黙知には、「暗黙」であるだけの理由もあると思うけれどな。

まあ、経営陣としては、本気で「暗黙知を形式知化して共有したい」という思いがあってやっているのだろうが、そもそもそんなところ(SNS)に仕事中に投稿したり、閲覧したりする暇があったら、少しでも日銭を稼げ、と私は思うのだが。書いているのは本社のコストセンターの社員ばかり(残業代がもらえる)というのが笑える。現場社員はサービス残業してるのにだよ?

○社内SNSについて

ということで、私はこんなものいらない。私はね。あくまでも。一番いらない機能は、「メールでお知らせ」機能だろう。拒否できるので当然しているが、中には1回書き込みがあるたびに必ずメールが来てしまう書き込みもある。もう、馬鹿かと。必然的に、メールそのものを読まなくなる。その結果が、「部署全員、重要なメールまで黙殺してしまう」の現実だ。

導入を企画した部署はおそらく、「部署ごとの利用率」か何かで業績評価が決まるから、必死だ。全社員に「○日までに登録して、最低1件は書き込め」と命令が下った。実に下らない。

どんな書き込みがあるか。
「iphoneの使い方について」「アドレスの登録方法について教えてください」「雑誌△△に広告登場。その感想募集!」

そんなの、部署の数人に聞いて解決しろよ、と思う。なんでこんなことを会社のおカネを使ってやるのか、さっぱり意味が分からない。これが暗黙知なの?

書き込み機能や「日記」機能もあるし、それをやっている社員もいるが、どうして会社でそういう暇なことができるのか。私はとても知りたい。

「足あと」機能も気持ち悪いって。
社員同士の足あとなんて、見る気も起きない。

○部署ごとの共有サイトについて

これも私は強硬に反対したが(心の中で)、結局デフォルトになってしまった。

そもそも他部署の人間が見られない、というサイトもあり、「それだったらサイトなんて作らないで、部署のサーバーに仮想のフォルダでも作ったほうが楽じゃない?」とか思うのだが、それはそれでもうあるしね。

こういうサイトの欠点は、何といってもアップロードの面倒臭さ。「添付もれ」や「開けないファイルを添付」というミスはそれこそ日常茶飯であり、その処理だけで莫大な時間を取られることになる。

毎回毎回、同じ部署の人と「どこにそのファイルあるの?」「あ、もうダウンロードしたのでメールで送りましょうか」とか、「どうやってアップロードするの?」「あ、やっておきますからメールで送っていただけますか?」とかやるのはもう、やめたいのだが。

メールなら1回で済むじゃないか。馬鹿か。

○全社員の「日報」を社内で共有できるサイトについて

仕事には「異動」がつきものだから、日報や業務日誌、メモ的なものが残ると、担当者が何代か入れ替わっても、「その当時に何が起きていたのか」を把握するのが容易くなる。こういうシステムは、どの会社でも、今や普通に導入しているだろう。

私も、このシステム自体は嫌いではないが、社員によってリテラシースキルのばらつきが大きすぎて、全然機能していない現実には目を覆いたくなる。

まず上司は、「悪い情報を書くな。上が見るだろう。消せ」と明に暗に圧力を掛けてくる、典型的にダメな会社のリーダータイプ。反発している同僚もいるが、私は「あ、下らないな」と思い、基本的に「いいこと」だけしか書かないようにした。まあ、こんなことを全社員がやったら、組織は腐ってしまうだろうが。ただ、「いいこと」しかない仕事などあり得ないわけで、結局メールや「飲みニケーション」で、「悪い情報」は横に広がっていくわけだが・・・

それはともかく。

日報を共有する唯一といってもいいメリットは、中間管理職が「いい情報」しか挙げてこないと組織が腐るので、経営陣が、ある意味で中間管理職を飛び越えて、直接、各社員の「本音」を探るという点に絞られる。

これが、実は中間の地点で、「情報の封鎖」が行われている可能性もあるということ。これは、こういったシステムを導入している会社の経営陣は、当然ながら、重々承知しておかねばならない。おそらく、「いい情報」の裏側には、その何百倍もの「悪い情報」があり、そして驚くべきことに、その「悪い情報」を、本社のコストセンターは、驚くほど「知らない」場合もある、ということだ。

もちろん会社も、「自部署にとって都合の悪い情報は、流してこないだろう」ということくらい想像がつく。したがって、「どんなことでも、入力しろ」と建前では言う。だが、それを額面通りに受け取るのも大人としてスマートな態度ではない。

だが、いるんだな。そういうスマートさに欠ける「情報リテラシー」のない輩が。
業務のメモを、その情報を必要としている社員が判る程度にさらっと書けばいいのに、ひどいのになると、それが「結局何が言いたいの?」という日記になってしまっていたり(読む側の都合は無視)、中には、顧客のプライベート情報がつらつらと書かれていたり(社内で共有したら、誰がそれを外に持ち出すか分からないではないか!そんなもの、最悪でも自分のノートにでも控える程度にしておけ馬鹿野郎)、とても「業務上の記録」とは言えないものが出てくる。

こういう状況を見ていると、やっぱり基本は、Face to Faceなんだな、と思ってしまうのだ。

***

何だか文句ばっかりになってしまったが(いつもそうだが)、情報を共有しようと思えば思うほど、情報が散逸する逆説。

不思議なものだ。


公開開始:2011年6月27日

2010/07/31公開の記事。

全国には様々な地名があり、ゆえにたくさんの面白い駅名が存在する。
関東の人は「日暮里」を「にっぽり」と読めるけれど、東京に明るくない人からすれば「ひぐれさと」と読んでしまうのが普通だろう。「芦花公園(ろかこうえん)」や「業平橋(なりひらばし)」なども難しいかもしれない。「原当麻(はらたいま)」などは関東の人もよく知らぬだろうが、知っていたら思わず「3000点」をあげたくなってしまう・・・あ、「はらたいらに3000点」っていうアレのことだが・・・

一方、関西の人は「十三」を「じゅうそう」と読むだろうけれど、関東人からすればこれはどう見たって「じゅうさん」である。 「喜連瓜破(きれうりわり)」「小林(おばやし)」「学文路(かむろ)」なども難しいだろう。

さて今回は、東京の横っちょの半島、「千葉」から、難読駅名クイズをお届けする。
全部分かったあなたは、相当な「通」である。

<問題編>

(1)飯山満

(2)下総松崎

(3)東浪見

(4)太海

(5)求名

(6)木下

(7)逆井

(8)酒々井

(9)作草部

(10)葭川公園

(11)海鹿島

(12)八柱

(13)飯給

(14)鰭ヶ崎

<解答編>

(1)飯山満(東葉高速鉄道)

答え:「はさま」
コメント:これはどう考えても「いいやまみつる」でしょう。人名かと思うぞ。誰でも。

(2)下総松崎(JR成田[我孫子]線)

答え:「しもうさまんざき」
コメント:ここは「まん」ですよ「まん」。あと念のため「しもふさ」ではなく「しもうさ」。

(3)東浪見(JR外房線)

答え:「とらみ」
コメント:サーフィンをする人は知っているかも。

(4)太海(JR外房線)

答え:「ふとみ」
コメント:初日の出が拝めます。

(5)求名(JR東金線)

答え:「ぐみょう」

(6)木下(JR成田[我孫子]線)

答え:「きおろし」
コメント:「木下街道」という幹線道路も走っています。

(7)逆井(東武野田線)

答え:「さかさい」

(8)酒々井(JR成田線)

答え:「しすい」
コメント:千葉県の人だけ、なぜかよく読めるのだが・・・理由は「ちびっこ天国」なる子どもプールがあるからだ―と、私は思う。子どものころの思い出として「酒々井」がインプットされている人間が、千葉には異様に多いのである。

なお同様に難読と言われる「八街(やちまた)」も、千葉県下での認知度は高い。千葉県名産のスイカや落花生と言えば、すぐに「八街」を思い出すのである・・・

(9)作草部(千葉都市モノレール)

答え:「さくさべ」

(10)葭川公園(千葉都市モノレール)

答え:「よしかわこうえん」
コメント:「葭」の字が強い。第三セクターらしからぬ、敢えて「難しい漢字」を使ったことは天晴れである。普通だったら「ふれあい・みらい・エコ・平和・よし川公園」になっていたところだ。

(11)海鹿島(銚子電鉄)

答え:「あしかじま」
コメント:どこで区切るかが問題。「海」「鹿島」ではなく、「海鹿」の「島」なのね。

(12)八柱(JR常磐線)

答え:「やはしら」

(13)飯給(小湊鉄道)

答え:「いたぶ」

(14)鰭ヶ崎(総武流山電鉄)

答え:「ひれがさき」

全問正解―変態です。

10問以上正解―すごいです。

5問以上正解―一般的です。

3問以上正解―気にしなくていいです。

1問以上正解―もう少し千葉に関心を持ちましょう。

全問不正解―残念です。


公開開始:2011年6月27日
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