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19年8月2日未明に「消費税ブギ」という記事を投稿した。その数時間後、2日の日中のニュースが、これだ。
・「夏のボーナス3.4%下落 経団連の最終集計」(朝日)
・「夏のボーナス3%減」(日経)

景気が良いのにボーナスが下がるということはあり得ない。どう取り繕っても、景気は決して良くなっていない。実額こそ過去2番目の水準だというが、物価も社会保障費も上がっている中で、「実額」なぞ何の意味もない。官製で株価や賃金、東京一極集中現象で不動産価格、自由貿易の均衡破綻で輸入物価がそれぞれ高騰しているだけで、内需は何1つ改善されていないのだ(余談だが、「働き方改革」で残業代頼みの家計が狂ってきているのも要因だろう)。

ここへきて消費増税だ。普通の感覚では、たぶん家計にとどめを刺す一撃になると直観されるわけだが、それでももはや「賛成か、反対か」の領域ではない。「どう影響をするか」だけを考えるべきフェーズに入った。

財務省は、「景気に左右されない財源を確保し、税収の安定化を図ることを以て、国家国民の安寧を図る」ことがレゾンデートルだ。「安定した財源の確保」と聞くと、何となく、理屈では分かったような気もする。

しかし、よくよく考えてみると、これはすなわち「国は景気を安定させることではなく、どんなときでも税を徴収できる仕組みづくりを優先します」と言っていることと同義である。

そもそもの「国家の繁栄と国民の福祉増進のために税金を徴収する」のではなく、「税金を安定して徴収するために、税金を徴収しやすい仕組みをつくる」というループした状況が目の前にはある。「安定財源の確保」が絶対のアイデンティティになってしまったのだ。これを「手段の目的化」と言わずして、何というのだろうか。

圧倒的大多数の国民が、少数精鋭の秀才頭脳集団の構築した強靭な理屈に勝てるわけがない。ここで国民ができることはただ1つ。家計防衛である。

今の政権は現状改善主義、すなわち「よりまし」の民意で存立している。深刻に景気が悪化すれば、民意は容易に靡く。その萌芽は、今回の参院選でもすでに顕れはじめている。超低投票率であるにもかかわらず、与党で(当然行くと思われていた)3分の2を確保できず、「N国」が国政に進出したことからも明らかだ。

「現状の良化」に現政権の支持基盤がある以上、「現状の悪化」によって、政策転換の芽が生まれるのである。だからしてドラスティックに「家計防衛」をすることで、政策対処のスピードを早めるべきなのだ。これが逆説的ではあるが、消費増税を乗り切るための解なのだと信ずる。


公開:2019年8月3日

19年参院選の主役は、間違いなく「NHKから国民を守る党(N国)」であった。その主張は早いうちからネットで興味本位で見ていたし、地方議会で党勢を拡大していることも知っていた。そして今回の参院選である。

もはや「大躍進」だろう。率直な感想を言えば、「人が本気で怒ると、国政にまで通じることがあるんだな」、という不思議な感情を抱いた。

前回の記事でも書いたが、19年度参院選を概観すると、与党は想定通りに「大勝」はした。確かにしたのだが、当然超えると思われていた「改憲ライン」は獲得できなかった。

しかしこの低投票率である。「投票に行かないほうがマジョリティ」と書くと、事態の深刻さが分かるというものだ。これっぽっちの投票率で3分の2取れないって、これまでだったらあり得ないことだ。

つまり、与党にとってはのどに骨が引っかかるような勝ち方なのだ。「勝ち」だがどうも「勝ち」ではない、というのが与党サイドの抱いた正直な実感なのではないか。

そう。どう見ても、本当の民意は「投票しなかった」過半数にあった、ということなのである。有権者の過半数はすでに既成政党に何も期待をしていない。政策実行能力のない野党にはハナから期待せず、といって与党にも与しない。「どこに入れても変わらない」という諦観を感じる。繰り返すが、既成政党への期待感は、すでに国民の過半数が喪失しているとみてよい。その結果、極めて明快な公約を打ち出したN国が利を得た、ということになる。

一応こういう記事を書くからにはちゃんと書いておくが、私はNHKと契約をしているし、受信料も払っている(しかも、一番高い衛星契約である)。NHKは受信料を支払う視聴者を「スポンサー」と呼んでいるから、ここからはスポンサーとしての意見を書かせていただくまでだ。

ちなみに『紅白』は毎年見ているし、子どものころからから教育テレビ(現Eテレ)で育ち、親になってからも「ありがとう、ゆきちゃん」という記事を書いたくらいにはEテレが好きだし、そもそも今は『ブラタモリ』を毎週欠かさず見ている。それなりには利益を享受しているいちNHK視聴者である。

さて、私の志向などどうでもよい。ここからの議論は、「N国現象をどう読み解くか」である。

既成メディアというか、識者というか、とにかく「良心」を代表したい人たちの希望的観測では、たぶん、「N国」が当選したのは無思慮な若者が投票した、面白半分で投票するのは民主主義の危機だ、というような論調を盛り上げたかった、のかもしれない。

だが実態は違った。これは朝日新聞・東京大学の出口調査分析記事(2019年7月24日付)になるが、 「68%が男性、40代が最多」という調査結果が出ている(グラフは記事を元に筆者作成)。

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まずは「世代別の『N国』への投票割合」を見てみよう。実は、40代以上が64%以上を占めており、決して(既存のメディアが描きたがるような)「ネットに踊らされた若者が投票」したわけではないことが分かる。

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次に「支持政党別の『N国』への投票割合」について。無党派が3割、ほぼ同率で自民支持層が投票したという事実には驚きを禁じ得ない。さらに、出口調査の選択肢にはそもそも「選択肢のある政党」と「選択肢が『その他』にまとめられた政党」があるようで、『N国』は選択肢には入っていなかったことが判明。ということで、民進などは「選択肢のある政党」で、これが7党。これらの政党の支持層は、束になってようやく18%。そして、「その他」支持層からが20%ということになる。単純に考えて、「その他」がほぼ純粋な「N国」支持層=コアな支持層であると仮定すると、コアな支持層は得票全体の20%ということになる。つまり、今回の「N国」の躍進は、「自民支持層」「無党派層」が支えた、ということになる。

これらのことから何がいえるか。そう、N国に投票した有権者は、決して「ネタありき」だけではないことが見て取れるのである。そもそも、2019年の統一地方選挙でも26議席を固めていることをみると、より投票率の低い地方の選挙でも投票するような政治関心層にもその主張が受け入れられている可能性がある。この観点は外してはならないと思うのだ。

この酷い低投票率で、どう考えても組織票が圧勝するはずの国政選挙だ。それでも普通であれば「泡沫候補」としてほぼ扱われないワンイシュー政党が、議席を獲得した。今後の党勢次第では憲法改正のキャスティングボードを握る可能性すら出てきた。

これまでであれば既成政党不信が生み出した時代の仇花、という評価をする識者もあり得ようが、今次のネットでの明らかな好意的評価や、NHKの「焦り」ともいえる声明文発表(「受信料と公共放送についてご理解いただくために」)などを見ると、この「N国現象」が一過性のものとも言えないような気がしてくるのである。

想像以上に、「既成のなにものか」がヘイトを集めているかもしれない、という(ある意味で不気味な)現状は、認識をしておいたほうがよいかもしれない。

私は今回の「N国現象」で、かつての「フジテレビデモ」を思い出してしまった。どうも既成メディアは(メディア側が思っているほど)国民の味方と国民に思われているわけではないようなのだ。「第4の権力」と言われるように、ときに国民と「対峙」し得る存在であることは、メディア関係者は頭の片隅に入れておいたほうがよい、とさえ思う。

「フジテレビ」しかり、「NHK」「TBS」しかり、「朝日新聞」「毎日新聞」「東京新聞」しかり。普段は公器としての信頼性と安心感を公には持ちつつも(この記事にだってソースとして掲載しているくらいなのだ)、本音のはけ口たるネットでは、上記メディアの評判は必ずしも「すべてGOOD」ばかりではないのは誰もが承知の通りである。

繰り返しになるが、「N国現象」は、この文脈でとらえたとき、既存メディアが(権力者ゆえに)内在的に包摂している(あるいは、せざるを得ない)「庶民からの憎悪」の顕在化そのものと捉えてもよいのかもしれない。

この観点でもう少し突っ込んでみると、この「N国現象」とは、庶民による「上級国民へのルサンチマンの捌け口」として機能した、と言えるかもしれない。

「上級国民」は、五輪の「佐野ロゴ事件」から人口に膾炙するようになった。「この世の中にはよい思いをしている特権階級がいる。俺たちは苦しいのに、そいつらだけでおいしい思いをしやがって」という漠然とした不満は、増税で可処分所得が激減し、将来不安も高まる中、中流階級以下の「誰もが」うすうすと抱いている1つの典型的なルサンチマンである。

「上級国民が好き放題やっていること」が事実かどうかはここでは実は問題ではなく、そういう「”上級国民許すまじ”という雰囲気」が醸成されてしまっているのは厳然たる事実であり、一種の「分断感情」が国民の間に既に成立してしまっているのである。

そんな中、NHKは「上級国民」のわかりやすい目印であった。「高所得の職員」「1つの県並みの予算」「高級な新社屋建設」などは、当然に「目立つお金持ち」が内包せざるを得ない「生理的嫌悪感」を伴ってしまっているようなのだ。これだけを切り取ると、単純によくある「公務員叩き」の亜流だと私は思う。

「公務員」=俺たちの税金で生活の安定=特権階級=叩け!というのと、NHKに対するそれは、本質的には同類のものだ。実際は公務員も稼得から税金を支払い、NHK職員だって受信料を支払っているわけで、制度への批判はともかくも、そこで働いている職員(ある役割をもってその職責を果たしているだけ)を攻撃するのは筋が違う、ということは冷静に訴えていく必要があると思われる。

ただ、一方で、こうしたルサンチマン的な要素を抜きにして考えてみても、NHKの現行の受信料制度への「静かな怒り」が国民の中にあることは事実であろう。そもそも、今回の参院選でN国に投票したのは「40代以上が6割」である。決して若者の支持ではない。ここに国民総体としての「静かな怒り」を感じずにはいられないのだ。

日本人が怒った場合、普通にとる行動は「静かに怒り、黙ってやめる」のである。だから一番怖いし(今回の隣国対応が典型的)、為政者もそこには気を遣わざるを得ないということになる。ここを見極めると(例えば55年体制下の自民党のように)長期安定政権が約束されるし、ここを見誤ると徹底的に(例えば民主党のように)国民から相手にされない政権が登場することになる。

新聞契約と同じく、NHKの強引な契約方法に怒りを覚えたことがある国民は多いだろう。

私の場合も怒り狂うことが2度あった。1回目は新婚時の普通契約だ。まだテレビを置いていないときに、「テレビの電波を検知しました」と嘘をついてやってきた勧誘員。この「嘘をつく」という行為が人間として本当に許せなかった。その後テレビを買い、普通にネットで契約した。嘘をついた勧誘員のポイントになどするものか、とネットで契約したのである。

2回目が衛星契約。別のマンションに引っ越して、地上放送だけを視聴していた(分配器をつけていないので、BSの視聴はできない状態)。しかし、マンションがBS視聴可能な状況というただ1点で、妻子だけがいるときに家まで上がり込んで勝手に衛星契約を結んだ勧誘員がいた(当然に電話で抗議すると、マンションまで配線が来ていますので、分配器とケーブルを買ってください、の一点張りで取り付く島がなかった)。

契約した以上は払うしかないので、わざわざケーブルと分配器とを買う羽目になった。なぜ、見ていないBSのために、分配器とケーブルを買わされたのか。いまだにこのやり口に納得はしていない。こんなもん、完全にヘイトを集めるに決まっているではないか。お金は払っているが、NHKのやり口だけは許さないという気持ちがあるのも事実である。

こういうNHKの強引な契約は、たぶん、多くの国民の怒りを買っている。<投票こそしなかったが、「N国」を心情的には応援している、という国民は、為政者が思っている以上には、たぶん多い>と思ったほうがよい

ただ、このあたりのNHKの感度は鈍い。「視聴者に公平に負担してもらうよう努めることが、NHKの責務」というのがNHKの基本的スタンスである。ただ、これは違うと思う。こういうスタンスでいると、大阪市長のように「国会議員が払わないのなら、大阪市も払いませんけど?」ということになる。「アイツが払ってないのに、俺も払うのか」という理論は、理屈ではわかるのだが、不払いの連鎖を生むだけで、それは根本の解決にはなっていないのだ。

そもそも既にカネを払っている視聴者にとって、払っていない人間がいるのは確かに「不公平」な気もするのだが、それはNHKのロジックにはまっているだけだ。実は他人が何をするのも勝手なので、「見ないなら、払わなくてもいいんじゃない?見ている人だけ金を払う受益者負担がそもそも公平な制度なんじゃないの?ペイビュー方式・スクランブル方式でいいじゃん」というのが論理的な帰結である。

で、カネを出している身からすると、NHKが他人のカネを集められるかなんて実はどうでもよくて、それ以上に「じゃあ、その分アンタは何をしてくれるの?」ということのほうが重要なのだ。

だって他人が払おうと払うまいと、自分には関係ないんだもの。他人との公平なんてどうでもいいんだよ。こっちはもう、受信料払ってんだから。そもそも「力を入れる場所」が違うんだよ!!

NHKは、お金を払っている客に向けて、「視聴者が観たくなるようなクオリティの番組を作り、受信料を払いたくなるようなきわめて健全な経営を行います。だから、どうぞご理解ください」という姿勢をとるのが先じゃないのか?というか、「公共放送」を訴えるのなら、子会社で小金を稼ぐんじゃなくて、キャラクターのパテントも全部無償開放して、過去の映像もすべてタダで見られるようにするくらいして、はじめて「公共」なんじゃないの?

NHKは「N国」の台頭で「受信料利権」を守ることを前面に押し出して主張してしまっている感がある。客観的に見てもちょっと慌て過ぎだ。

よくよく考えてえてみると「お金を払っていないのは客じゃない」のだ。普通に考えて、公平性を主張するならスクランブル放送をすれば解決する、と思うはずなのだが、そうはしない。かといって、先ほども書いたが「視聴者が観たくなるような番組を作る」とか「経営をより透明にします」とか「アーカイブを開放します」とは言わない。結局は「受信料を集めることだけ」がNHKの主張に見えてしまって仕方がないのだ。

何度でも書くが、NHKのメッセージは一貫して「受信料の公平負担の徹底」であり、決して「受信料に納得してもらえるような番組の制作と経営」を主張していないところがポイントである。この滲み出る「無謬性」「特権階級風情」が、結果的に「受信料を支払っていて、文句も言わない圧倒的大多数」の従順性を切り崩すきかっけにならないとはいえないのである。

普通に「ペイビュー方式」ではいけないのか。そこを問うと、NHKはすぐに「公共性」を持ち出す。しかし、公共性を入れたいなら、税金で運営すれば解決するのではないか。たとえば「緊急情報」「ニュース」「天気予報」「政見放送」は税金で運営し、その他の番組はスクランブルもしくはスポンサード放送、ないしペイビュー方式にすれば解決する話だ。

しかしそうすると、NHKは「報道の公平性」がなくなるというんだろう。いやいや、もとからないじゃないか。報道の公平性を謳うんだったら、「N国」を「ニュース9」に呼んで徹底討論でもしたらいいじゃないか。でも、そんなことはしないだろう。それがすでにおかしいじゃないか。

こういう様々な疑問点を少なくともこれまで以上に国民のイシューに昇華させた「N国」の功績は、すでに「参院選」に打って出られるくらい党勢が拡大していた時点で大きいと言える。 

・・・ということで、「N国」が躍進するにもそれなりの理由があって、決して「政党不信の仇花」「ネット時代の闇」「ポピュリズムの台頭」的な状況ではない、というのが本項の主張である。

最後に、建設的に「NHKにこんなサービスをしてほしい」という案を書いておく。  

●まずは最低限、「契約書」は契約時に郵送し、解約方法なども明示した「重要事項説明キット」を渡す。
●Web上で視聴者マイページを開設し、解約を含めた手続きをネット上で完結できるようにする
●一度お金を取っている以上、アーカイブ化された番組は無償提供する
●公共放送として、自社展開のキャラクターはパテントを取らず、「自由利用」にする
●公共放送として、非スクランブルの「ニュース・天気予報専門チャンネル」を開設し、税金で運営する
●映画やスポーツ、バラエティなどの嗜好番組は「ペイビュー化」ないし「スクランブル放送」にする

もっと、「金を実際に払っている視聴者に向き合ってくれ」というのが一視聴者としての願いだ。「N国」の国政参戦を契機に、NHKの視聴者目線での改革につながることを願う。


公開:2019年8月2日

19年度参院選の開票速報を見て驚いた。5割を切る低投票率の割に、与党は(すでに予想されていた)「大勝」こそしたものの、所謂改憲ラインである「3分の2」を獲得できなかったからだ。正直、意外であった。

そもそも現与党は、首尾一貫して「取り掛かれるテーマを漸次改善していくことに全力を注ぐ」という現実的な姿勢を取り続けていて、かつての民主党のように「取り掛かりもできないテーマを急激に改革することに全力を注ぐ」という破滅的な姿勢をとっていない。だから、政策の実現性が高く、結果としてきわめて安定的な政権運営を実現している。無理がない、ソツがない、冒険しない、ともいえる(だから「保守政党」なのだが)。したがって、その内在的な安定性ゆえに、しばらくはこの長期安定政権が続くだろう。

今回の参院選を観察した上での勝手な感覚だが、投票したマジョリティの総意は「野党はまったく当てにならないし、与党は最近、好き勝手やっている近隣諸国にようやく物申すようになってきたから、消費税10%は確かにムカつくけど、まあ、とりあえず今のままで任せてみてもいいか。うん。やっぱりわけわからん野党よりはマシだしな」てな感じで与党を利したのだろう。たぶん。

でも実は、投票したのは有権者の半分以下なのだ。すなわち、本当のマジョリティは「投票しなかった人たち」であることに留意したい。すなわち、有権者の過半数は「政党の政策実現能力」にハナから期待せず、「どこに入れても変わらないっしょ。」と棄権したわけだ。既存政党へのNOが突き付けられたと言ってもよい。結果的に今回の参院選の主役は、間違いなく「NHKから国民を守る党(N国)」が掻っ攫った。このことは項を改めて書く。

さて。私は野党の絵空事の政策にはまったく期待をしていないが、本項で与党に与する記事を書くつもりもない。ここで書いたのは、<少なくとも無理はしない政権なので、結果的に令和元年の夏現在で見る限りにおいては、日本国では現与党にだけ、物事を前に進める力がある>という現時点での冷静な評価を書いたまでだ。

物事を前に進める、といえば、現与党最大の政策ともいえる「アベノミクス」を挙げなければならない。これはすなわち、デフレ脱却という「今」を改善していく政策パッケージである。どうにもこうにもマクロ経済が上向かない現状を下支えする上では有効と考えられている取り組みであり、事実、人口が激減する中でGDPを下支えし、バブル期レベルにまで税収を復調させたという大きな実績も挙げている。しかし、これはあくまでも対症療法であって、決して「未来」を創造する取り組みではないことには留意を置きたい。

まだ今は「失われた30年」を取り戻すための改善主義でよいのかもしれないが、その分、実は「将来へのインパクト」を感じられないのが今の政治状況の難点である。というか、とても「不安」だ。

なぜならば、「現状から出発せざるを得ない」という政策特性が故に、これからン十年と加速の止まない人口激減時代に耐えられなくなる危険性を、常に孕んでいるからである。

そう、現与党の得意とする「漸次改善」とはすなわち「現状の延長線上」であるからして、この「現状改良主義」で縮小均衡している状況では、政治も、経済も、社会も、大きくシュリンクする危険性があるのである。

「野党はハナから政策実現能力がなく、与党の現状改善主義がかろうじて社会を下支えている」という一強多弱の選択の余地がない政治状況と、毎年何十万人もの人口が減り、子どもの数も減り続け、高齢者ばかりが異常増殖する社会状況。バブル崩壊後のデフレ経済の清算に政策資源をとられ、未来創造分野で諸外国に後れを取っている経済状況。これこそが老後の不安の正体であり、この老後の不安が解消されないからこそ、消費は伸び悩むのである。いつまでも。

少しだけ余談を書くと、多くの野党が決定的に間違えているのは、「格差是正」=「等しく貧乏になる」というロジックを隠して「格差是正」を叫んでいることだ。そりゃ、与党の「まずは景気拡大」=「等しく豊かになる(可能性があるかもしれない)」というロジックには必ず負けるのだ。なぜならば、誰も、今より貧しくなんかなりたくないからだ

多くの国民の経済感覚は「そりゃ、格差はないに越したことはないが、でも(周囲の)人並の、もっといえば(周囲の)人よりも少しでもよい生活をしたいなぁ」くらいのもんだろう。だから「格差是正」なんて叫べば叫ぶほど、自分だけは人より貧乏にはなりたくないものだから、与党が勝つに決まっているのだ。

もし、「皆で等しく(=貧しく)なろうよ」というのなら、自分の稼いだ金・貯めた金を、一時に等しく皆に配ることを考えてみたらよい。論理的には、すぐに「平等」になるはずだ。でもそんなアホなこと、誰もしないだろう。この本質的な欺瞞性がとっくに見透かされているのだ。

■そして消費税の話へ

さて。かなりの長さの前座の後に、本題を書く。

この選挙結果を受けて決定的になったのが消費税増税(8%から10%へ)である。税金が上がって喜ぶ人はいない。できれば消費税なんてなければいい。そんなことは誰でも思っていることだ。でも、投票者は(間接的には棄権者も)増税を黙認した。

「幼児無償化とセット」「消費税増税分のポイント還元」などの「甘い飴」が事前に大量にまかれたことも大きいが、野党の政策実現能力は国民から見放され、与党の現実改善主義だけが現状の社会を少なくとも下支えすると国民は暗に感じているからこそ、与党は「増税」を訴えたにもかかわらず、議席を維持できたのだ(もっとも、そもそも増税を決めたのが旧民主党政権だったので、旧民主党そのものが増税を決めたことに対して「解党せよ」という民意の審判をすでに受けたともいえるのだが・・・)。

賽は投げられた。ここからはもはや「賛成」「反対」ではない。考えるべきは、「影響」である。消費税増税でどんな影響が出るだろうか。

私は経済学者でも何でもないが、それでも感覚的に感じていることを記しておく。

もはや国民に増税を受け入れる経済的余裕はなく、消費増税を受けて、決定的に消費回復の芽は絶たれる。

その理由を書こう。
物価が目に見えて上がっている一方で、可処分所得が一向に改善しないからだ。仮に数%賃金が上がったところで、それ以上に物価と社会保険料の値上がり幅が大きく、家計を直撃しているのだ。

具体的には、「1994年→2016年」で家計の可処分所得は2.3兆円減少(内閣府経済社会総合研究所)とか、バブル期と比べると社会保険料実額負担は実質2倍(ガベージニュース)といった有用なデータが公開されているし、実は、最近の雇用統計(2019年7月公表)で実質賃金が5ヶ月連続でマイナスになっているといったニュース(ロイター)が報道されていもいた。中には影響の出る消費税増税前に値上げをしてしまおうという動き(FNN)もあり、家計の弱り具合は看過できない流れになっている。

とにかくこんな状況では、消費マインドが上がるわけはない。とても今、消費税増税に耐えうる家計状態が醸成されているとは言えないのだ。もう少し踏み込んで書くと、「物価上昇と不況が共存する」スタグフレーション状態に、すでに日本は陥っているとも考えられる。畢竟、物が売れなくなり、デフレに逆戻りする可能性も高い。

すでにその兆候は出ている。複数の報道で呈されているが、<駆け込み需要が発生していない>というのだ。逆説的にいえば、これ以上落ち込みようがないくらい、すでに国民経済がダメージを受けている、という見方もできる(これを敷衍すると、「増税しても、あまり消費が落ち込まなかった」という統計が現れる可能性もある。ただ、論理的帰結として「消費が上向く」こともあり得ないのだ)。

さらに、今後確実に社会問題化するであろう、(タワー)マンション等の住宅の過剰供給も事態に追い打ちをかけている。18年12月に首都圏の新築マンション成約率が50%を割り、大きな話題となった。すでに都心の物件を中心に一般のサラリーマンが手に届かない価格になっているところを見ると、バブル崩壊の頃とそっくりである。ただでさえ空き家が急増している昨今である。堰を切ったように住宅価格が暴落する危険性はないとはいえない。少なくとも、「中産階級が手が届かなくなりつつある」今が、不動産価格の臨界点ではあると言えよう。

ここへ一律2%の消費税増税である。値上げ幅こそ2%であるが、「消費額の10%」と考えると、相当な金額である。同じ月、さらに最低賃金の大幅値上げが企業を直撃する。

突如として「生産設備」や「従業員」の生産性が上がったわけでもないのに、機械的に「支払いの実額」だけ上げていけば、企業の経営をダブルで圧迫することにもつながりかねない。すでに書いたように、賃金を数%上げたところで、物価上昇と社会保険の負担で焼け石に水状態なのだ。ここでこれまで好調であった雇用がシュリンクする危険性も孕むことは、強く意識しておかなければならない(国際情勢もきわめて不透明だ)。

そもそも財務省は、「景気に左右されない財源を確保し、税収の安定化を図る」ことを至上命題としている。何となく、理屈では分かったような気もする。しかし、これはすなわち、「国は景気をよくすることではなく、税を徴収する仕組みづくりを第一に考える」と言っていることと同義である。

「国をよくするために税金を徴収する」のではなく、「税金を安定して徴収するために税金を徴収しやすい仕組みをつくる」という倒錯した状況が目の前にはある。これを「手段の目的化」と言わずして、何というのだろうか。

ここで国民ができることはただ1つ。家計防衛である。先に書いたが、今の政権は現状改善主義、すなわち「よりまし」の民意で存立しているに過ぎない(積極的に支持されていたら、この低投票率の中、そもそも「N国」の当選はあり得ないし、3分の2を楽々とれていたはずだからだ)。

現状改善主義政党の最大のウィークポイントは結局のところ、「現状」に拠って立つ「世論」である。消費税8%→10%への改正は、過去2回延期されている。5%→8%になったときの消費の落ち込みが(当たり前なのだが)非常に大きかったことを踏まえての慎重な対応だった、とする向きが多い。

だから国民がやるべきは、徹底した家計防衛なのである。10%に上がった途端、放っておいても深刻な不況が訪れる可能性は極めて高い。よしんば統計上は「それほど下振れがなかった」という結果が出たとしても、おそらく未曽有のレベルで「消費の上向きがまったく感じられない」状況が継続する可能性は捨てきれない。「大きく落ちもしないが、上がることもない」という迷走が続き、企業も家計も疲弊するだろう。底抜けとはいってもリーマンショックのように「大きな穴」ではなく、「小さな穴」がたくさんできて、少しずつ日本経済の最後の「踏ん張り」を奪っていくイメージである。

少しの衰退がやがて、体全体に影響しそうになる日が来る。やがて景気が悪くなれば、現状改善主義政党の存立は危うくなる。なぜなら、「善なる現状に国民の支持が立脚する」からである。「悪なる現状」になった途端、国民は容易に離れていくのである。そうなってはじめて、「13%にするのはやめて、別の財源を探そう」とか「本当に消費税頼みでよいのか」という議論の萌芽が見えるのだと思う。政策は国民の意識と行動で変えられるのだ。これは現状改善主義の良いところ、ともいえる。

だからこそ、ドラスティックに「家計防衛」をすることで、政策対処のスピードを早めるのだ。「底抜け」の期間は短いほうがいい。

■そこで主張する家計防衛の案はシンプルに2つ。

(1)デフレになる可能性が高いので、貯蓄性向を高める
これから、物は売れなくなる可能性が高い。すると需要と供給の関係で、値下げ圧力は強まる。現金の購買価値が上がるので、貯蓄の割合を高めたい。「老後に2000万円必要だから<投資をしろ>」というキャンペーンがあったが、「投資をしろ」というのは、それで儲かる人がいるからだ。そこまで勘繰らないと、ただのカモである。「これからデフレになるから、<貯金をしておけ>」という意味だと心得たい。

ちなみに、デフレ下の鉄則は「資産の額面を増やそうと思わず、減らさないことを考える」だ。デフレ下では黙っていても現金の購買価値は上昇していくので、それこそ「定期預金」などで手堅く元本を維持するだけで資産防衛になる。

(2)固定支出を見直す
徒歩5分の普通のスーパーでバナナが198円。車で15分の激安スーパーでバナナが98円。さあ、100円のために車で・・・というような日々の節約は、長続きしないことが多い。なぜか。疲れるからだ。同じような理由で、ほうれん草(高い)の代わりにいつも小松菜(安い)を使う・・・のようなことでいちいちピリピリするのも多分長続きしないだろう。

一番確実なのは、固定費を見直すことだ。毎月、毎年という単位で支払うあらゆるもののことである。以前、「浪費チェッカー」という簡易な固定費計算ツールも作ったことがあるので、ぜひ参考にされたい。

■光熱費・・・電気/ガスは小売り完全自由化で選択肢が大幅に多様化された。消費増税を機に自分の家庭に合ったプランを選択したい。

■携帯電話・・・一向に消費が上向かないのは家計における通信費負担がバカにならないから、というのは1つの事実。「キャリアの固定メールアドレス」さえ諦めれば、消費増税を機に家族みんなで格安SIMにナンバーポータビリティで移行するのも1つの手である。

■固定電話・・・もはや「かかってくるのはセールスか詐欺だけ」になってしまった感のある固定電話。これも消費増税を機に考え直したいアイテムの1つだ。

■新聞・・・月4000円(毎日自販機でペットボトルを1本買う)に見合う価値があるかどうか。この価値判断に尽きる。 

新聞のメリットは、   
(1) 一覧性:視界の中でニュースの全容を把握できる
(2)偶然性:たまたま目に飛び込んだ文字情報だけで(興味のなかったことでも)ニュースの大要を認識できる
(3)易保存性:気になった記事は保存して活用することが比較的容易にできる
の3点であり、これはそのままネットメディアのデメリットでもある。すなわち、   
(1)固定的:クリック(タップ)しないとニュースの全容を把握できない
(2)限定的:興味のある記事・ジャンルしか拾わないために接する情報が限定されがちになる  
(3)保存性の信頼度:保存はネットサービスの提供企業の意向に左右される
ということだ。

一方、新聞のデメリットは  
(1)遅い:ニュースの鮮度が落ちる
(2)重い:廃棄が不便である    
(3)高い:定期購読をすると、4000円/月程度かかる
といったところか。これはそのままネットメディアのメリットにも転化し、
(1)速報性:ニュースの鮮度が極めて高い、   
(2)軽い:物理的な重さがない、   
(3)安価:無償で情報を得られるサービスも多い
というところになりそうだ。

こういったことも勘案して、消費増税(新聞は税率に影響しないから余計に)を機に考え直したい固定費の1つである。

■テレビ・・・NHK衛星契約で月2064円(年払いの場合)と考えたときに、それに見合うペイビューを我々はしているのか。アマゾンプライムのほうがよほど視聴しているというケースも多いのではないか。とすると、1番組あたり、いくら支払っているのか・・を冷静に計算してみてもよいかもしれない。

知人でテレビを所持しない人はずいぶんと増えた印象だが、彼ら彼女らは「別に日常生活に困らないことに気づいた」と口を揃えて言う。あるいはそうなのだろう。消費増税を機に「テレビを観ない」という選択肢を採ることも家計防衛の策の1つかもしれない。

■スポーツクラブ・・・月に9000円払っているとしよう。月に4回しか通えないなら1回あたり2250円だ。プールは公営のプールで賄えることはないか。ヨガは近所のサークルでよいところはないか。・・・分解してみると、消費増税を機に見直すべき対象になるかもしれない。

■塾や習い事・・・消費増税は「やめようと思っていたことをやめると言い出すきっかけ」にできるチャンス。この夏は、「秋からどうするか」を家庭で冷静に話し合ってみる機会にできそうだ。

保険・・・消費増税は「固定支出」全般を見直すタイミング。現在の資産状況なども鑑みて、過剰な保険になっていないか、改めて見直しを図りたい。

■車・・・本当に必要かどうか。カーシェアリングを使った場合/レンタカーを使った場合/タクシーを使った場合などで一度シミュレーションをしてみると、意外と「タクシーでも十分ペイできる」結果が出ることもある。車は(初期費用だけでなく)税金やガソリン代、車検代、さらに保険代などが家計にダイレクトに響くので、消費増税を機にまず見直したい項目だ。

最後に繰り返そう。ドラスティックに「家計防衛」をすることで、政策対処のスピードを早めるのだ。「底抜け」の期間は短いほうがいい。


公開:2019年8月2日

私が小さい頃は、NHK教育の『おかあさんといっしょ』とフジの『ひらけ!ポンキッキ』が2大幼児番組であった。で、その認識のまま大人になるわけだが・・・

今はNHKEテレで乳幼児向け番組の細分化が進んでいる。ざっくり、『いないいないばあ』→『おかあさんといっしょ』→『みぃつけた!』という進級ステージを踏んで設計されているようである。

『いないいないばあ』の主人公である緑色の着ぐるみ「ワンワン」。名前くらいは知っていたが、実際に自分の子どもがそれに触れる年齢になってはじめて、その偉大さ(子どもへの影響力)を知った。「アンパンマン」の偉大さ(影響力)を親になって知るのとまったく同じだ。

「ワンワン」の中の人は、すでに還暦を超えたチョーさんだと知って、私は仰天した。チョーさんと言えば、私が子どものころ大好きだった番組『たんけんぼくのまち』の主人公。この番組で私は「社会科」好きを加速させたと言っても過言ではない。

余談だが、チョーさんは犬が大の苦手という設定だ。私も子どものころは野良犬に追いかけられまくっていたから、そういうところからも親近感を覚えていた。「犬が苦手なチョーさんが、今は犬役をやっている」というのがもう、最高にたまらない。

そんな思い出深いチョーさんが出ているならいい番組に違いない、と思って子どもと一緒に見始めた『いないいないばあ』。今ではすっかり、私が猛烈な大ファンになってしまった。

どれくらい好きかというと、DVDを買い(もちろん20周年DVDも)、CDを買い、奥さんよりも子どもよりも詳しくなってしまったくらい、、は好きだ。「全国サラリーマン『いないいないばあ』が好きな人選手権」があれば、上位10傑に入るくらいは好きだ。

さて。ワンワンには子役の女の子が「おねえさん」としてつく。2019年3月までは、その役を「ゆきちゃん」という子がつとめていた(6代目)。

登場時はとにかく「丸く」、いかにも「1年生になったばかりです」という感じ丸出しだったのだが(「幼児に毛が生えたような」という表現がぴったり)、この1、2年で背も伸びて、完全に女の子になった。

特に衝撃だったのは名曲『ポポポポポーズ』や『ペンギン☆ペンギン』をみたとき。あきらかに今までのゆきちゃん像と違った成長を見せてくれていて、彼女が雄々しく成長する姿を、思わず我が娘に投影してほほえましく感じたのであった。

いないいないばあの不文律として、「4年でおねえさんを交代する」というのがある。ゆきちゃんの成長をみて、調べてみると2019年3月末で「4年」。昨年の夏前くらいから、私は妻と「多分、来年で交代あるね」と話題にしていた。

決定打だったのが、毎年度末に発売されるその年の総集編のDVDを見たとき。発売予定のメニューに「ゆきちゃんのおもいで」というコーナーがあったので、これでゆきちゃん卒業を確信(実際にDVDも発売日に買ってすぐチェック。内容はどう考えても「ゆきちゃんありがとう」というつくりであった)。これが概ね年明け。

さらに、毎月末の日曜日に放送されるスピンオフ(出張公演)である「ワンワンわんだーらんど」の2019年度の出演予定に「ゆきちゃん」の名前があって、さらに状況を確定的にした(「ワンワンわんらーらんど」は「いないいないばあ」のおねえさんが卒業後に4年間出演するのがこれまた不文律になっている。ここに出演している先代の「おねえさん」、ゆうなちゃんの卒業もこれで確定したわけだ)。

ということで、3月の最終週は、仕事中であっても「ゆきちゃんが卒業してしまうんだ・・・」という寂しい思いで過ごした。『いいないばあ』をすべて録画し、仕事帰りに見る(子どもにを気にせずに自分だけでみたい)というちょっと怪しい「いないいないばあおじさん」に変身したのだ!

初期のゆきちゃんの映像、過去の名曲などを散りばめてゆきちゃんの4年間の貢献に敬意を払いつつ、子どもにショックを与えないよう、小出しで後任の7代目おねえさん「はるちゃん」を紹介していく、というなかなか粋な演出だった。

月曜日。番組ラストに「なぞの女の子」としてはるちゃん登場。名前なし。ゆきちゃんとの絡みもなし。
火曜日。番組中盤に「ワンワン」とはるちゃんの絡みあり。はじめて名前の紹介。ゆきちゃんとの絡みなし。

火曜日はたいそうのうた「わーお!」もおそらく最終回と思われる。というのも、これまでは毎回流れていた「わーお!」が、当週はこの1回だけだったからだ。
このところたいそうのうたは、おねえさん2回分(つまり8年サイクル)が不文律になっており、おそらく19年度からは新曲に切り替わる(予想)。これも、毎回楽しみにしている子どもにショックを与えないように静かにフェードアウトさせていく作戦なのだと思われる。

水曜日。番組中盤で「ワンワン」とはるちゃんのもう少し長めの絡みあり。
木曜日。ついに「ワンワン」だけでなく、ゆきちゃんとはるちゃんのコラボ。番組後半で「これまでの思い出」をゆきちゃんが描いて、VTRにつなげるという演出があり、「いないいないばあおじさん」を泣かせやがった!!!

金曜日。名曲『だいすきの木』の直後、ワンワン・うーたん・ゆきちゃん・はるちゃんがそろって交代のごあいさつ。ワンワンの言葉がステキすぎて私は感涙したね。曰く「ゆきちゃんは、『いないいないばあ』から『ワンワンわんだーらんど』に<進級>します」と。卒業という言葉を使わず、「進級」・・・うーん、しびれた!!!そのあとうーたんが「進級って、なに?」と聞くと、ワンワンは「進むということです」と。この<進む>という言葉に、チョーさんのゆきちゃんへのやさしさ、今までの思い出を込めたさびしさ、これからへのはなむけ、ねぎらい、そんな複雑な感情を感じ取ったね。そしてホワイトアウトからのエンドロール・・・「いないいないばあおじさん」をこれ以上泣かせるな!!

ということで、平成の御代が代わりゆく年に、「ゆき」から「はる」への交代がなされるわけです。これは象徴的であります。

「ゆきが溶けて、川になって・・・・もうすぐはるですね」そう。季節は春。出会いと別れの季節なのであった。

ゆきちゃん、たくさん本当にありがとう!『ワンワンわんだーらんど』も応援しています!


公開:2019年3月30日

外部から乗り込んできた金の亡者、腐れコンサル会社の作った「さあ、みんなで働き方改革をしよう」といううんこビデオを強制的に視聴させられた時、こんな金払うならボーナスに回せ、人増やせと思った。ただのクソコンサルの「肥し」であると悟ったからである(個人情報保護やコンプライアンス、環境経営と同じで、経営コンサルの新しい稼ぎ口でしかない)。

以降、絶対に「働き方改革」なる言葉を信じるものかと固く心に誓った。机上のバカコンサルによって、「働き方改革」なんぞに協力する意思はゼロになったのだ。そんなクソコンサルに多額のフィーを払う会社も間抜けである。

どこもかしこも「働き方改革」の号令で、やろうとしていることは単に「成果を変えないまま業務時間だけ削減してみせる、一方的に労働者が損をするゲーム」である。それを考えるための「なんちゃって会議」が、定時後や休日に行われるという悪夢のような出来事が現在進行形で進んでいる。

で、その「なんちゃって会議」で出てくる結論は「ノー残業デーを設けよう」「強制有給の取得」「テレワークの推進」・・・と、サルでも思いつくうんこのようなゴミクズプランばかりだ。

業務量そのまま、評価基準そのまま、給料そのままで時間だけ削り、成果だけは「それ以上」を求められるのである。そりゃ、「個々人の工夫」の域を超えて「持ち帰り仕事を増やせ」と言っているだけではないか。

有害な「だらだら会議」「とりあえず会議」「とりあえず報告書」「安心のための勉強会」「フィードバックのない報告書」、そして「プロセスが不明確な評価と給与体系」はそのままであるし、そもそも同じ職場に管理職、裁量労働者、時間労働者、年俸制のシニア、アルバイト、有期雇用契約労働者、時短勤務者・・・と、働く動機も目的も違う人々が集っているのだ。「時間だけ削って」うまくいくわけがない。

働く動機など、「自己実現」「稼得」「他者貢献」「周囲が働くから何となく・・・」とそもそも様々であり、本来はそのあたりの動機を高めていく(会社のビジョンに馴化させる)施策をまずするべきなのだが、それもないまま「とりあえず働く時間を減らせ」では、何の成果にもつながらない。無意味である。脳みそついてんのかな、と思う。

だいたい、「あなたのためですよ」といって近づいてくる輩は100%詐欺師である。「働き方改革」は、出だしからして「みんながハッピーになれる施策」という胡散臭い新興宗教やねずみ講の勧誘のような腐臭がしていた。ぜったいに胡散臭い代物なのだ。

今、改めて思う。「働き方改革」は、為政者や指導層を生き永らえさせるためだけのものである、ということを。「働き方改革」の本質は、今よりも短時間で成果を上げる奴隷をつくることだ。そしてそれが急がれる理由が3つある。

1つめは、「これまでの働き方に不満を漏らす奴隷が増えてきた」ことである。奴隷たる社畜に知恵がついて、権利意識が高くなってきたためである。さぞやエスタブリッシュメント層は苦々しく思っていることだろう。

2つめは、「労働条件が、生かさず・殺さずが難しいレベルにまで苛酷になってきた」ことである。
まずIT化。IT化は、間違いなく仕事の時間当たりの情報処理量を増やしてきた。「電話・FAX・郵送」でやり取りしていればよかった時代と比べて、一時に処理しなければならない情報量は爆発的に増えている。これは人間の脳にとって計り知れない負担を与えているはずだ。
次に育休を代表とする職場の慢性的な人手不足による「圧力鍋化」である(育休者は員数にカウントされるため、複数の育休者が出ると一般的には満足な人員補充はなされず、職場の1人当たりの業務負担は増えるのが普通だ)。これも「24時間戦えますか」の時代とは比べ物にならないほど、従業員個々にとっては大きな負担となっている。

3つめは、人口オーナス期による慢性的かつ構造的な人材不足で、今まで通りの待遇ではまともな人材採用が行えなくなりつつあるということだ。しかも、今や日本は特段「稼げる国」ではなくなってきているので、<移民>をアテにしていた財界層の目論見も外れてしまった(それが証拠に、最近は「移民」はトピックスにすらならないでしょう?)。

繰り返すが、「あなたのため」を言って近づいてくる奴は、「自分のため」。政府やエスタブリッシュメントが「あなたのため」という場合は、要するに為政者の生活維持のためなのである。

ということで、大多数の国民は「働き方改革」に協力する必要は全くない。面従腹背でもいいから、つべこべ言わずに労働力を提供し、黙って税と社保だけ納めていれば命だけは助けてくれるのが国と上流階層である。そのあたりを踏まえて、以下のことを思って生きていくのが精神衛生のためだ。

〇会社は平気で裏切るので、心まで尽くす必要は全くない(御恩と奉公の関係性は、今では幻想である)。
〇会社の理念は株主・オーナーと経営者のためのものであって、従業員のものではない(ビジョンを従業員のためと思わせるのは単に経営手法の一でしかない。それに共感する振りをできるのがビジネスパーソンの立ち居振る舞いであるが、それも手法の問題でしかない)。
〇すなわち、生活のために従業員はただただ、国と会社に「従ったふり」をすればよい。
〇政府や会社の号令の逆張りが、生活防衛につながる。豊かな生活を欲する「国民」と、黙って働く奴隷がほしい「エスタブリッシュメント層」は常に二律背反の関係にあるからだ。すなわち「消費しろ」というなら「貯蓄」をすべきだし、「投資しろ」というならその逆をすべきだ。「働き方改革をしろ」というなら、しなくていいのだ。どのみち、消費増税と東京オリンピック後の需要減、株バブル崩壊と不動産市況の悪化、団塊の世代が一気に後期高齢者になる時代が重なり、再び深刻な不況が来るのだ。今から生活防衛を図っておく(給与水準が微増している今こそ、消費は手控えて、投資もせずに貯蓄をしておく)ことのほうが、よほど「生活の改善」につながるはずだ。

従った振りをしよう、働き方改革。失せろ、クソコンサル。


公開:2018年2月3日

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