スタートの巻

今更ながら自分でも驚くが、生きていく上で「家族を含めた自分が快適に過ごしていくための投資をすること」だけが唯一の求めるべき価値であって、それ以外のことは生き抜くための方便に過ぎないということを、このところ大きく学ぶ機会があった。

「自分が快適に過ごしていく」という文脈以外において、他者のために尽くす必要は基本的には、ない。他者は他者の人生を生きていて、”あなた”の時間は生きていないからだ。他者は「自分が快適に過ごしていく」ためにときに協力的で、ときに仲間になるが、その関係性が終わったときは、容易に過去の関係をなかったものとするし、裏切る場合もあるし、とにかく”過去”を継続してよいことは1つもなくなる。でも、そんなものだ。もっとも、どこかでまたご縁ができた時に、「自分が快適に過ごしていく」という文脈上においてのみ、タッグを組むことはあり得る(オリンピックにまつわる「政府」と「専門家」の関係をみているとわかりやすい。幼稚園の時のママ友と、小学校のときのママ友が変わるケースも例に挙げられるかな。あとは、異動して3か月もたてばあれほど飲み会で愚痴を言い合った前の職場のメンバーと疎遠になる、というのもこの例かもしれない)。「情けは人の為ならず」ということわざがあるが、これは、無制限の他者貢献を説いているのではなく、むしろ「自分が快適に過ごしていくために情けをかけておいたほうが得だよ」というニュアンスを暗に含んでいると言えよう。

他者のために尽くして疲弊しているすべての人々へ。もう尽くす必要はない。「自分が快適に過ごしていく」ことを第一に考えていきていけばよい。いや、「自分が快適に過ごしていくこと」だけを考えればよい。「自分基準」で考えると、義務感でやっていたこと、なんとなく続けてきたこと、そういうものが途端に馬鹿らしくなってくる。そうすると、すごく楽になる。

ただ冒頭にも書いたが、方便は必要だ。したがって、「自分基準」で考えた結果、馬鹿らしかったり、もうどうでもよくなっていても、ここは「フリ」をしておいたほうが得だな、と思った時だけは、意に反することをせざるを得ないことはあるだろう(それが「仕事」という稼得行為の一側面ですよね)。ただ、あくまで方便であることを忘れてはならない。

私はこの数日で、精神的なしがらみからだいぶ解放されて、楽しく生きていくためには、「人のために時間を提供するのではなく、もっと自分のために時間とお金を使えばよいのだ」という当たり前のことに気づいた(繰り返しになるが、そのためには、一定程度、他者のために時間を提供して稼得する必要がある)。

とまれ「自分に時間とお金を使う」、これこそが究極の「投資」である。怪しい副業とか、いきなり大きな夢に飛びつく前に、まずは本気で自分のために時間とお金を使うこと。これが重要なのだとほとほと気づかされた。

そして、「自分のために時間と金を使う」=「自分のやりたいことをやる」と決意したら、すぐに行動することだ。よく、「役者志望という役者はいない」という。「役者」は役を演じた時点で「役者」であるからして、「志望」しているだけだったら、いつまでも「役者」ではないという論理だ。また「YouTuberになるには」と逡巡している時点でYouTubeで成功することはできないともいう。それはそうで、誰でもボタン1つで「撮影」はおろか「投稿」までできてしまうのである。「やってみよう」と思ったら、即座に「やる」ということが重要なのだ。おそらく、「やるかやらないか」を迷っている時点で、「本心ではやりたくない」のである。必要に迫られて、ないしはやりたくて仕方がなければ、迷う前にやっているのである。

自分のやりたいことをやる―と決意して、今日はいろいろなことをはじめた。

まずは「体」。水泳だ。昨晩寝る前にはじめることを思い立って、朝イチで入会申し込みをした。以前、水泳を始めた途端に中華料理屋さんの階段でコケて骨折して3日くらいで退会するという失態を演じたので何年も足が向かなかったのだが、リモート勤務中の昼休みにひと泳ぎするという外資系エリートサラリーマン(イメージ)の真似をすることにしたのだ。目指すは逆三角形。誰にも馬鹿にされない(道端ですれ違ったときに避けられるレベルの)ボディーをつくる。

続いて「食」である。早速今夜は、思い立って家族で久しぶりのお高めディナーをいただいた。おそらく1年以上このレベルのディナーは自粛していたが、どうということはない。お店は混んでいた。もちろんお酒は飲んでいない。念のため。さらに勢いに乗って、月の中旬にはホテルの豪華ランチを予約した。会社は休む。月末には温泉にでも行こうと思う。これまた会社を休む。感染対策は当然のことだが、どうせオリンピックはやるのだ。なぜ、そのために「やりたいことをやる」権利が制限されなければならないのか。

そして「衣」。専門店で高級パジャマを購入。睡眠の質を高める。怪しい民間療法ではなく、「自分の健康への正当な投資」は「やりたいことをやる」ために何より重要なことであるから。

そして忘れてはならないのが「エンタメ」だ。エンタメは生きていく上の潤滑油である。ここまでの勢いに乗って、iPad Air(第4世代)およびApple Pencil(第2世代)を購入。もう明日には届くので楽しみでしょうがない。Google Pixelのフリーズが頻繁過ぎて、日常のビデオやブラウジングには不適なので、画面の大きなiPadにホームエンタメは任せて、Google Pixelは外でのやり取りや連絡専門にする。ほとんど通信をwi-fiで行えば、どのみち今の携帯会社なら基本料はかからないし、通話もSMSもアプリで無料なので、他キャリアの養分になる必要もない。

・・ということで、今日だけで15万円くらいの出費をしました。

今のところ心はすっきり。晴れ晴れしておりますけれども、万が一この後すぐにiPad Proを買ったり(欲しい)、Macbook Proを買ったり(欲しい)、新しいSurfaceのメモリ32GBモデルを買ったり(欲しい)、クルマを買ったり(あるいはKINTで高級車をサブスクしたり)、家を買ったりしたら、完全にメンタルの不調ですよね。

「不安や落ち込みを紛らわせるために」「つらい気持ちを解消するために」・・要は代償行為としてこういうことをしだしていたら危険なわけです。

さて、本当のところはどうなんでしょう。「自分のやりたいことをやる」なんて言って、実は「それしか今は生きるよすががない」的なことだってあるわけですよね。そういう精神状態のときに無理に主張を遮ると、場合によっては突然退職したり、突然失踪だってしかねないわけです。そうっとしておきましょう!そうっと。

ではまた。

心を穏やかにする方法、の巻

メモ。

(1)期待値を下げる
(2)他人に求めない(期待しない)
(3)努力と結果は正比例しないことを認識する
(4)他者への尽力は直接の返報を意味しないことを認識する
(5)他者はとりあえず「利用できる」場合においてのみ自己を欲すると思え
(6)すべては「今」と「未来」であり、過去の関係性に拘泥するのは概ね無意味である
(7)1つのことだけに特化せず、できるかぎり迂回路を準備して「逃げ出せる」準備をしておく
(8)「寄らば大樹の陰」「長い物には巻かれろ」であるが、寄るところ・まかれるところは間違えるな
(9)コミュニティ内の最大の影響者には決して逆らわず、面従腹背でもよいからゆめ嫌われないようにせよ
(10)自分の気持ちに正直に、今やるべきだと思うことにだけ100%の力を発揮できるようにコントロールせよ

要は、「他者に何かを求めるな」ということですね。

ではまた。

注意書き社会の巻

以前、最中のことを書いた。

口が乾いていると最中の皮が貼り付くことがあります

うん。確かに。気をつけて食べよう。

こんなグミもみつけた。

食べる前には手を洗いましょう

うん。確かに。グミは直接手で触りますものね。

・・・さて。まるで幼稚園児扱いですけれども、もしかしたら「おい、最中が口の天井にくっついたぞ。どうしてくれるんじゃ」とか、「おい、手を洗わずにグミを食べたら翌日腹壊したぞ。」という謎のクレームが連日連夜続いていて、その対策のために「パッケージに注意書きが書いてございます。ご賞味の際、お口は十分に湿っていらっしゃいましたか?」とか、「説明書の通り、食べる前に手は洗われましたか?」と対応する想定なのだろうか。

だとすると、やっぱりそれって幼稚園児よね。

ではまた。

はとライフの巻

「はと」って書いてあると思わず見ますよね(見ないか)。

これなんて、はとの駐車場ですからね。絶対に停めますよね。

ほら。はとのタクシーですよ。絶対に乗りますよね。

やっぱりはとはかわいい。

ではまた。

Z世代の次の巻

子どものままごとをみていると、シルバニアファミリーにおいては「まずは換気しなくちゃ」といって小窓を開けるところからはじまり、アイドルごっこにおいては「コロナのため観客は1人だけです」と言わしめ、図書館ごっこにおいては「本の消毒をします」からはじまる。

よく考えると、子どもにとってはこれが「普通」なんだよなぁ。テレビで人が密集している昔の町の映像をみて「これ、近づきすぎだよ」的なことも言っていたし。

ではまた。