あまりにも毎日おなかが痛いのでいろいろ試した話、の巻

毎日おなかが痛い。どう考えても胃腸がおかしい。

治すためには、結局「よい食事」「よい睡眠」「よい運動」で「ストレスをためないこと」しかない。「ストレスをためないこと」は単独では難しいので、まずは「よい睡眠」「よい運動」に取り組むことにした。

よい睡眠・・・枕を変え、寝具を変え、睡眠時間をだいたい8時間くらいにした(23時就寝7時起床)。夜食も絶ち、寝る1時間くらい前は電子機器の刺激も極力避けるようにした。確かに頭はすっきりした。脳の疲労は確実に減衰。ただ、おなかは痛いままだ。

よい運動・・・水泳をはじめた。無心で泳ぐ。サイクリングもはじめた(電動自転車だが)。数駅分くらいの距離をできるだけ往復して移動するようにした。無心で漕ぐ。確かに頭はすっきりした。脳の疲労は確実に減衰。ただ、おなかは痛いままだ。

残るは「よい食事」である。玄米食など低GI食品の摂取、野菜から食べ始めることの励行(血糖値を上げすぎない)。夜は冷たい飲み物ではなく、できるだけ暖かい飲み物(ルピシアにハマっているのだ)で体を温める・・いろいろとためしてみた。ただ、おなかは痛いまままだ。

これは根本的に腸内環境を整えなければならない。疲れやすいのも花粉症がひどいのも、どうも腸の機能が原因のような気がしてならない。

・・ということで、「善玉菌カモン!栄養も補給するぜ作戦」をスタートすることにした。

飲みだしたのは「プロバイオティクス」の善玉菌製剤と、「プレバイオティクス」の(善玉菌への)栄養剤だ。
具体的には、「新ビオフェルミンS」「強ミヤリサン」そして「エビオス」である。

ビオフェルミンはご承知の通り、「乳酸菌のくすり」の代表格のようなものである。
●小腸に棲みつくアシドフィルス菌は、乳酸を生成し、悪玉菌の増殖を抑制。
●同じく小腸に棲みつくフェーカリス菌。腸内フローラの安定化に寄与。
●そして大腸に棲みつくビフィズス菌。乳酸と酢酸を生成し、悪玉菌の増殖を抑制。
こうして書いているだけで、おなかの痛みが吹っ飛びそうである。

続いてミヤリサン。よく、胃腸科で処方される薬に「ミヤBM」「ラックビー」というのがあるが(腹が弱い人にとっては聞きなれた薬だろう)、「ミヤBM」の「ミヤ」が、「ミヤリサン」の「ミヤ」である(ちなみにラックビーは「ラクトミン(乳酸菌)」である)。
「ミヤリサン」は、「宮入菌」という酪酸菌の製剤で、1933年に千葉医科大学(現・千葉大学医学部)の宮入博士が発見した日本発の善玉菌。抗生物質や胃液にも耐える強さを持ち、さらに腸の中で増殖し、酪酸を産生すると特徴がある。この酪酸は腸自身のエネルギーとなるだけでなく、腸内フローラの安定化に寄与しているとても素敵な菌なのであった。

ビオフェルミンとミヤリサンを併用することで、おなかに継続的に善玉菌を補給し続けよう、という作戦である。

さて。さらにそこにパンチパワーを加えたい。胃腸の調子を整える&栄養補給をするサプリメントといえば、ビール酵母の「エビオス」である。なんと2020年で発売90周年という超ロングセラー商品でもある。40種類の栄養成分(ビタミン、アミノ酸、ミネラル、食物繊維など)が含まれるという。

ちなみに今、1回の食事で16錠の薬を飲んでいる。エビオスが1回10錠という初見殺しのパンチを利かせているので、どうしてもこうなってしまう。

毎回のどにつかえる量だ。事情を知らない人からみたら、「え?ちょっと大丈夫?」的な量である。繰り返すがこれ、1回の量だ(つまり1日で48錠ということ)。

***

これらを飲み始めてから3日ほどたった。あれほど毎日ゆるかったおなかが、どうだろう。ゆるくなくなった。そして・・・おなかが痛くない!!! おなかが痛くないよ!!!!!

・・と、数日だけではプラシーボないしは偶然の可能性もあるので、もう少し続けてみよう。何となくいつもおなかがいっぱいな気持ちがするのは・・・気のせいかな。それとも効いているのかな?

でもとにかく、「おなかが痛くない」のは事実。「おなかが痛くない」って快適だなぁ。やっほう!

ではまた。
(私は医学専門家ではありませんので、個人の感想としてご覧ください)

お茶の本の巻

お茶の専門店、ルピシアの出しているお茶のバラエティーパック「the Book of Tea」(以下、BOT)。

少し前に、「旅」をテーマにした「BOT BON VOYAGE(ティーバック30個入)」が出て、すっかりその虜になったわけだが・・・

その最新版、「BOT 100」が登場した。「100」ということは、そう、ティーバックが100個である。100個!!

とにかくサイズがでかい。前作と比べると、iPad と iPad Proくらいの差はあるのではないか(適当な例え)。

そして中身。見よ、このいかにも「インスタ映え」しそうなカラーリングを!!ふたを開けた時、思わず叫んだね。「グラデーション!」って。

この色を見ただけで「うわ!おいしそう。好き!!」となるのである。もう、ルピシア好きとしてはイチコロよ。

そしてみてごらんなさい。このいかにもスイーツな感じのお茶。スイーツ×インスタ的なこのネーミングセンスよ(あ、ほめています)。

ルピシアのお茶は、香りが高くて、それでいて味はさっぱりしている感じで私はとても好みである(たぶん、香りと同じ味がずっとしていたら途中で飽きてしまう。ちゃんと上品な香りに「お茶の味」がしっかりしているから、ルピシアのお茶は好きなのだ)。

100種類もあると、どれから飲もうか本当に楽しみである。

・・・という、ただ単に「おいしそうなお茶が届いてうれしかったよ」というお話でした。
ではまた。

ラメール・・それは海の巻

ラメール。フランス語で「海」。トロピカルージュ・プリキュアの人魚、ローラが変身する新しいプリキュアだ。

本日の「プリキュア」で、人魚であるローラは「足」を持ち、プリキュアになった(なんとそのまま、プリキュアでないときにも人間になるというサプライズつきだ)。

ちょうどその少し前に、「映画ドラえもん のび太の人魚大海戦」を見て、「戦う人魚、格好いい人魚」に虜になっていた我が娘は(私ではない)、一挙に大のローラ・ファンになったようだ。あれほど欲しがっていた「トロピカル・パクト」には目もくれず、ローラのパクトが欲しくなった、と宣っていた。

「本当は人間になりたい。」そんな気持ちを隠していたローラに足が生えた瞬間は、おじさんでもウルっときた。感動の余韻に浸っていると、まさかのエンディング変更だ。おお、せっかく覚えてきたのに歌も変わるのか。

ラメール。それは海。

ではまた。

3分勝負の巻

「3分」という時間があったときに、構想も含めてどのくらいの文章が書けるのかの実験。

30秒与えられた場合。

ストップウォッチで30秒計りながら文章を書いている。意外とタイプミスが多くて、ちゃんとした文章

うーん・・・意外とタイプミスの修正に時間がかかるものだと知る。頭の中にある文章が、そのままディスプレイに表示されるわけではないんだねぇ。

続いて1分。

我が家では「ホームベーカリー」を購入した。作る段階になって、やれ水を正確に測れだ、どうのといろいろ面倒くさい。「ソーダ製造機」にも憧れるのだが、結局こういうのは準備が大変になって

お!1分もあると何となくそのあとの展開が想像できる文章が書けるものだ。「ホームベーカリー」「ソーダ製造機」「ビールサーバー」など、憧れるけれど、実際にやってみるとなかなか続けるのが難しい・・的な文脈になりそうなことが想像される。

そして3分。

水泳をはじめた。泳ぐ。家に帰る。体力がないので、疲れて寝てしまう。ただ、起きると異常にすっきりしている。その理由はおそらく、頭が空っぽになっているからだろう。無心に泳ぐ。そんな時間が自分には必要だったようだ。

日常生活でくさくさすることがあって、半ば衝動的に通い始めたのだが、いざはじめてみると「無心になれる時間」のありがたさに気づく。ストレスをスマホいじりで解消しても、頭が疲れてしまって精神の休息にはならなかった。体を酷使して、「疲れ」によってその他が入り込む余地をなくす。これがよかったようだ。

この生活を続けることで、前向きな気持ちで生きていけるのだろうか。ちょっと楽しみであ

時間に比較的余裕があるとわかっていると、安心して文章を書くことができる。推敲はまったくしていないので文章のつながりや、導入部の盛り上がりなどは不十分な気がするが、3分あると、とりあえずは中身がそれなりに通じる文章になるということがわかった。

とはいえ、思いつくままに書いたとしても、3分で290文字である。だいたい、音読で300文字/分、黙読で600文字/分を平均とすると、「打った文字」は「声で読む文字」の半分くらい、「黙読の文字」の1/6なのだ。

かくて書くのは、時間がかかる。

ではまた。

テレビのこれから、の巻

少し前に、NHK放送文化研究所の「国民生活時間調査」による調査で「深刻なテレビ離れ」(特に30代以下の若者)が起こっていることが裏付けられた、というニュースが話題になった。このページでも記事にしている(5/20の記事5/21の記事)。

そういえば自分(若者ではない)はどうだろうかと問うてみる。
振り返ってみると、少なくとも今月は、1度もリアルタイムでテレビの放送を見ていないことに気づいた。うーん・・もしかすると「今年」に置き換えても数回あるかないかなのではないか。
記憶にある限り、テレビの前で待機していたのは、ドリフの特番だけだったはずだ。

録画する番組も決まっていて、定期録画は子どもとみる『ドラえもん』および『プリキュア』、そして『ブラタモリ』『ソーイング・ビー』のみである。前者はCMを飛ばすし、後者の2つはNHKなので、タイムシフトで視聴したとて私なぞ「カネ」にはまったくならない視聴者である。

今やテレビの画面を見るのは、録画していた番組を見るか、Amazon PrimeビデオやdTVの映像を見るか、である。ほかに見るべき画面はPC、スマホ、タブレット、携帯ゲーム機とごまんとある。リビングの主役、ではもはやない。

幼少期をテレビ漬けで過ごしている(それこそ絶頂期のフジテレビの空気を浴びている)はずのアラフォー世代ですらこんな状況なのだ。況やもっと若者においてをや、である。

そもそもリビングに置いてあって、ボタンを押すだけですぐにつくテレビはきわめて手軽なメディアだ。とりあえずテレビ、の「とりあえず」の累積が視聴率であり、その視聴率が担保されていることでこれまで隆盛を極めてきたわけだ。ただ、その「とりあえずボタンを押す」という行為はある種の習慣であり、テレビとともに育ってきた60代・70代は習い性となって何のためらいもなくテレビを毎日つける(意識せずに)ことができるだろうが、おそらくその呪縛が解けた40代以下は「ボタンを押す」習慣がとっくの昔に消え去っている。すると、もはや若者にとっては「テレビを見る」ということすら意識下にない可能性まである。

よく「好き嫌い」より怖いのは「無関心」というが、そのフェーズに入っているのだ。そもそも「テレビ」が意識にない。だから悪感情もなく、単純に「見ない」のである。今の若者より少し上の世代だと「テレビを見ない」というある種のファッションというか、自己アピールというか、要は「意識高い系」で「意識してテレビを見ない」という風情が見え隠れしていたが、今の若者はそうではなくて、「意識そのものがなく、本当に見(るつもりが)ない」のである。そこには何の意図も虚飾もない。「え?見ませんけど何か?」という「空(くう)」だけがそこにある。

私自身、テレビを「つける」という行為は、「意識して」やらないといけない行為にハードルが上がってしまっているのを感じる。スマホやタブレットは躊躇なくホームボタンを押せるのに、テレビのリモコンはボタンを押すのがしんどいのだ。そこに「意識」があるから。スマホは「さあ、スマホを見るぞ」という「構え」はいらない。自然体でそのものである。しかしテレビには「構え」が必要だ。ただただ、「不自然」なのである。

そういえば我が家では新聞を取っているのに、テレビ番組表を見ることもなくなった・・と書いていて気づいた。それくらい、意識から外れてきているのだ。

ここまでくると、旧来の「コンテンツとコンテンツの合間にCM」というのはどんどん、少なくとも若者、これからの世代に対しては効果がなくなってくるはずだ。そんなこと、私が言わなくても自明のことだ。

そうなると、もしかすると「コンテンツの下部にずっとCMを表示する」とか、「番組のオチをWeb化して、そこに誘導する」とか、いやでも「目に入ってしまう」状況をつくるようにしないと「無料放送・広告収入モデル」が持たない段階がいずれ来るのもしれない、とさえ思う。

ただそうなると、おそらく今のメイン視聴者である高齢者からクレームが殺到して、全世代が「無料のテレビ」から離れることになる。だからできない。

ということで結局、これまで通り「番組の合間にCM」という旧態依然とした放映形態が続く。しかし、タイムシフト視聴に慣れ、興味のない部分は飛ばすことに慣れた若者は、「強制的に見せられる長いもの」は見ない。自分でコントロールできないことは、嫌いなのだ。だからますます、離れていく。

すごいジレンマである。
しかし以前書いたように、このジレンマをどう乗り越えるのか、という課題は人口が激減する我が国において、あらゆる業種が「学ぶべき事例」にほかならない。

人口拡大時代の成功体験を捨てきれないことが「失われた30年」の根本要因だ。今は高齢者に実数ベースでボリュームがあるからまだ何とか体裁を保っているが、この層がいつまでも主たる社会の「金主」足り得ないのだ。

「昭和の代表」であり、もはや「レガシー」の1つである「テレビ」がこのピンチをどう乗り越えるのか。これは非常に興味深いテーマだ。今後も注意深く動向を見ていきたい。

ではまた。